| 群馬県沼田市で開業して(平成13年度) |
| 群馬弁護士会 井坂 和広 |
T はじめに 私は、46期修習で48歳(※平成16年現在)、平成6年に弁護士登録、弁護士生活11年目(※平成16年現在)です。兵庫県神戸市出身ですが、縁あって群馬県それも最北端の利根沼田地区(沼田支部管内は「北毛地区」と呼ばれています)で開業しています。この「ひまわり」という冊子は、開弁連管内の弁護士の生活体験記を通じて弁護士偏在の解消の一助とすることをねらいとして刊行されているとのことです。おそらく、北毛地区で活動する私の体験記が有益な情報として期待され、ご指名を受けたものと推測されます。 私自身の個人的感想ですが、現在の群馬県内では、地裁支部管轄区域単位で見る限り特に切迫した偏在状況は生じていないと思っています。特に、私が開業している北毛地区においては、弁護士偏在状況は完全に解消されていると認識しています(少なくとも現時点では)。 しかし、私が開業する当時までは、面積比で言うと県の5分の一を占め、人口約10万人の地裁支部管内に弁護士はゼロであり、明らかに弁護士過疎地域であったことは否定できません。まさに偏在問題解消過程の中心にいた弁護士という意味では(極めてローカルなエリアでの話ですが)打ってつけの指名なのかも知れないと思い、重い筆を執った次第です。 U まず、私自身のこと 約11年間(※平成16年現在)弁護士という仕事をしてきた今、私自身、この職業を天職と思うし、仕事を通じて他人の様々な職種をつぶさに見てきて、逆に他の職業はとても勤まらなかったろうなと常々感じています。サラリーマン、企業家、商店主、公務員、等々どの仕事を見ても、自分の性格、能力から見てとても勤まるとは思えません。結局、紆余曲折を経て就いた職業ですが、落ち着くところに落ち着いたのだなあというのが実感です。 兵庫県の神戸市で生まれ三菱電機の一工員である父親を大黒柱とした平凡な家庭で育ちましたが、小学校2年になるときに姫路市に引っ越し、「細腕繁盛記」よろしく慣れない旅館経営に奮闘する母親の背中を見て育ちました。母親が困っているのを黙って見ていられない性格からつい食事の手伝いをしてしまい、結局中学生になるまで忙しくなると母親から呼ばれて手伝う羽目になりました(夕食朝食ともピーク時は戦場のようでした)。でも、そのおかげでいろんなお客さんにかわいがられ、本来人見知りする性格ながら知らず知らずのうちに社交性を身につけることができたように思います。当時は鳶職の人とか土木関係者は入れ墨をしていることが多く、そういう人が案外人情味があっていい人が多く、だから今でも入れ墨にあまり違和感がありません。子供心にブルーカラー(今や死語ですが)の人は情味があって好きだけど、ホワイトカラーは冷たくて嫌いだったのを覚えています。 とにかく厚かましくてやかましい関西人から(そして家から)逃れたい一心で(当時は外国語としか思えないあの関西弁がいやでした)早稲田の政経に進みました。関西を離れるのが目的で入った学校ですから当然のことながら勉強には脇目もふらず一心不乱に大学生活をエンジョイしようとしました。朝、目が覚めたらとりあえず学校へ行き、昼間は麻雀、夕方はサークル(クラシックギターの同好会)、夜は酒飲みと、親のすねをかじりながら遊び暮らす、罰が当たらない方がおかしいような生活をしていました。しかし、そんな生活が長く続くはずはありません。4年生になると周わりは続々と当時一流と言われた商杜、広告代理店、マスコミ関係へと内定を決めていくようになりました。 私は孤立感を深めていくなかで子供のころからの夢である音楽家を目指す、ギタリストを目指すという目標を掲げて、一流大学から一流企業へというエリート街道(もし、そういうのをエリートと言うのならばですが)からドロップアウトしていきました。その後は、焼鳥屋、夜警、塾講師、山の伐採などのアルバイトで最低限度の生活費をかせぎながら練習とコンサート活動に情熱を注ぎました。しかし、そんな生活も長くは続きません。当初の音楽への情熱も徐々に挫折感へと変質していくなか25歳のころ練習のしすぎで右手を故障したことを契機にきっぱりギターをやめ、結婚を契機にその実家の仕事を手伝うことになりました(ここで初めて群馬県との縁が始まります)。果樹栽培や養蜂業は肉体労働向きでない私には向かないことが分かり、30歳になるころ司法試験の勉強を始めました。大学受験以来勉強らしい勉強をしたことのない私にとって初めて学ぶ法律学はとても新鮮でおもしろく、水が染み込むがごとく吸収できました。合格までの数年間は、妻の実家、単身で高田馬場に下宿、妻子とともに浦和へ転居と環境はめまぐるしく変わりました。合格までは、自宅で学習塾経営をしたり、埼玉で四谷大塚系の受験専門予備校に就職したりと、職場環境も変動しました。最後の職場は非常に厳しい会社で、研修で「報連相」(報告、連絡、相談)から、お辞儀の角度までたたき込まれました。ずっと一匹狼で協調性のない私にはいい経験でした。 第一志望の浦和で修習することになり弁護修習担当の先生から新年会でハーモニカのギター伴奏を命じられたことがきっかけでギターを再開しました(きっかけを作っていただいた浦和のS先生に感謝します)。 都会志向と田舎志向とが混在する私の登録志望先はかなり変遷しました。故郷の神戸に始まり、妻の嗜好を入れて奈良(現に2泊3日で事務所訪問までしました)、新橋・有楽町あたりの事務所にも惹かれるものがありましたが、結局、子供の生育環境を一番に考え(もちろん、私自身の強い田舎志向もあります)妻の実家である群馬に戻ることになりました。 かくして高崎の事務所にイソ弁として勤務しましたが事情があって4カ月足らずで独立開業することとなりました。 V 沼田支部での7年間 さて、独立とは言っても、故郷を捨てドロップアウトした私には、同窓生というバックボーンは全くなく、地縁血縁すらも皆無という状況ですから、ただ漠然と前橋や高崎で開業しても食べていけるはずがありません。かといってまた宮仕えができる性格でもありません。ちょうど夏休みのシーズンでしたからしばらく遊びながら開業揚所を考えていました。多くの先輩方にお話をうかがいました。当時ゼロ地域であった利根沼田の話題が頻繁にでるなかで、この地域での開業を真剣に考えるようになりました。そして、さらに多くの先輩方にご意見をうかがいました。「ぜひともやりなさい」という積極意見から、「そんな所で(多分「そんな山奥で」という意味でしょう)開業すると後悔するからやめろ」という否定論までさまざまでしたが、結果はどうあれ自分にはこの道しかないと、不思議にほとんど確信に近いものがあり迷いはありませんでした。もちろん、人口や裁判件数などデータ上の自信もありましたが。 資産も貯金も全くない私がいきなり立派なオフィスで開業できるとは思っていませんでしたから、取りあえず安く借りられる場所をつてを頼って探したところ、病院だった建物が空いているというので、その一室を借りました。弁護士自ら蜘蛛の巣を払い、ツバメの巣をかき落とし、モップをかけ、カーテンやカーペットなど最低限度の設備と机等の備品の購入をしてオープンしました。当時、借金をすることを思いつかなかったためですが、結果的に負債ゼロで開業できました。 閑古鳥が鳴いて暇をもてあますかと思っていましたが、予期に反して開業当日から相談者がきました。弁護士が当地にいなかったせいか役所や司法書士等から聞いて事務所を訪ねてくる人が毎日数人いました。 今思えば、よくあんなみすぼらしい事務所に相談に来たものだと呆れるやら感心するやら。でも、それも利根沼田という素朴な土地柄のなせる技かと思ってます。 知識・技術面でははなはだ未熟でしたが、社会人経験が長いというのは結構武器になりました。また、若い時期の下積み経験もここへ来て役に立ちました。弁護士になってまだ半年にもならないのに結構通用するもんだなと感心したりもしました。それに、開業早々に非常に有能な秘書に恵まれたことも幸運でした。当然、新米の私は法律事務も全く精通しておりませんから、秘書に何も教えることができませんでした。秘書と二人三脚でここまで来たという感じです。だから、今でも頭が上がりません、現在、事務局は二人体制ですが、破産・任意整理は完全に事務局担当で、裁判事務等についても最大限機能していると自負しています。 9月1日に開業してからの3カ月間で引っ越し費用がストックできたので、年末に賃貸ビルに事務所を移転しました、ここでやっと人並みの独立ができたという感じです。その後は夢中で仕事をしているうちにだんだん背伸びもなくなり、最近になって、地に足がついて来たような気がします。自治体や医師会など「寄らば大樹」的な団体の顧問も務めるようになりましたし、地元企業の顧問先も増えてきました、家裁調停委員などの公職にも就くようになりました。 我ながら全くのよそ者が6年やそこらでよくここまで定着できたものだと思います。具体的には開業と同時にロータリークラブに入会させて貰ったことが大きな原動力になっていると思いますが、利根沼田の素朴な土地柄が自分の性分に合っていたことも大きいと思います(もちろん、田舎町特有の閉鎖性も強い土地柄という面もありますが、弁護士というポジションが幸いして異例のとけ込みようと言ってよいでしょう)。 非常に強い都会志向と田舎志向とが極端に混在している私にとって利根沼田での開業は極めて正しい選択だったと言わねばなりません。 例えば、銀座の事務所に勤務し、東京郊外か埼玉の浦和あたりに住み、都会暮らしに疲れたら週末に利根郡のリゾート地に保養にくるという選択もありえたわけですが、新幹線或いは高速道で東京に直結する利根沼田に定住し、開業するという選択はベストでした。今ブームの日帰り温泉が自宅から車で10分から30分位の距離内に10軒もあり、尾瀬や谷川岳を筆頭に東京から1日がかりで殺到する観光地が目と鼻の先に散在している地域で仕事も生活もでき、しかも東京に1時間ちょっとでアクセスできる土地というのはちょっとないんじゃないかなと思ってます。今はインターネットで世界が簡単につながる時代ですから、都会的であるために無理に都会に住む必要はないんです。現に私自身、横浜に顧問先がありますが、普段は電話、ファックスで相談業務は充分こなせてます。事件の内容についても、田舎であるが故にと言うべきでしょうか、非常にバラエティに富んでいます。一つの地域を少数の弁護士が担っているので、一定の事件が一定の弁護士に偏ることがないのだと思います。新聞を賑わした住民訴訟や群馬弁護団結成のきっかけになった悪徳商法事件など、やりがいのある仕事は数え切れないくらいありました。また、私は、弁護士としての使命感から(「ええかっこしい」みたいですが、これは本当です)らい予防法国家賠償訴訟弁護団に自ら飛び込みました(でも、少ししか協力できなくて他の弁護団員の先生には申し訳ありません)。 また、芸は身を助けると言いますが、いろんな場所で演奏の機会があり(宴席の余興で大騒ぎの中、クラシックギターを奏でるという「苦行」も希ではありませんが)、人脈拡大に一役買っています。自治体主催の講演会(もちろん、法律テーマです)の後半でギター演奏というパターンも何度かありました。沼田でも何度かコンサートを開きました。何年も前に裁判を依頼されたお客さんが来てくれたりして感激することもありましたが、最近では、むしろ慰問演奏のような手応えのある場で演奏することに意義を感じるようになりました。演奏曲も「アルハンブラの思い出」から「銀座カンカン娘」へと大きく変遷して来てます。ゴールデンウィークには、知り合いの坊さんに誘われて老人ホームや精神障害者施設への慰問ツアーに参加しました。励ましに行くはずが励まされて帰りました。痴呆のおばあちゃんがまるで皇太子殿下が来たみたいに私の手を握って放さないのには何かこれまでに感じたことのない熱いものを感じました。 W 最後に、当地区を弁護士偏在の観点から見て さて、最後に、「ひまわり」の趣旨に添って、利根沼田地区を「弁護士偏在対策」の観点からメッセージを書き記したいと思います。 私が、当地で開業した当時、「弁護士過疎地図」(日本列島に弁護士過疎地をマーキングした地図があったと思いますが、勝手にこう呼ばせて貰います)で利根沼田地区は確か赤く塗りつぶされていたように記憶しています。この地区は地図で見るとかなり広い印象を受けますが、要するに山と田んぼが大部分ですから、面積はあまり気にしない方がいいでしょう、いずれにせよ、この地城は弁護士ゼロということでまさに「弁護士過疎地」だったことは間違いありません。そして、7年目の今日、沼田で開業している弁護士は2名です。それでも、東京の弁護士からは、群馬の山奥のかなり広い面積の地域に2人しかいないのだから「過疎地」と見えるかも知れません。 統計的に見ると前橋地裁の本庁の民事事件総数は平成12年で、4807件、沼田支部は483件です。人口比で見ると、前橋地裁管轄区域(前橋市、渋川市、北群馬郡、勢多郡の一部、伊勢崎市、佐波郡、吾妻郡)は約74万6000人、沼田市・利根郡併せて約10万人(郡部で約半分強を占める)です。人口比、約7分の1に対し、事件数の比は約10分の1です。「裁判沙汰」という言葉に表れるような、法的解決を避ける田舎の傾向が数字に端的に表れています。村人同士がほとんど知り合いの農村部では当然と言えるでしょう。でも、弁護士数で見ると前橋は約70人ですから、「やはり偏在だ」と言うかも知れません。 しかし、ここでも、単純に数字だけを見てする形式的思考でなく、当該地域と近隣都市との距離やそれを結ぶ交通手段などを考慮に入れた実質的思考をしないと物事の実相を見ることはできません。関越高速を使うと沼田市内に位置する沼田インターから前橋インターまで30分あれば余裕で移動でき、前橋の裁判所まででも40分で行けます。 だから、地裁沼田支部の開廷日には、駐車場は高級車であふれることになります。つまり、利根沼田地区の人は、約40分で弁護士にアクセスすることが可能なのです(電車を使っても1時間以内に移動できます)。もちろん、敢えて地元の弁護士に相談依頼したくない人もいれば、地元の弁護士に依頼したい人もいますから、その意味では当地区の人はその好みに応じて沼田と前橋(高崎)の弁護士のいずれかを選択することができることになります。地元で弁護士が開業するまでは地元で相談したい人も前橋まで行かざるを得なかった訳ですから、当地区での法的サービスの供給はよりー層充実したと言えると思います。いずれにせよ利根沼田地区は本庁所在地の前橋とは密接な繋りがあり、当地区だけを取りあげて、形式的に或いは情緒的に「過疎地」と呼ばれることには、「過疎地」に単身飛び込んだ弁護士としては強い抵抗感を覚えます。最後に、若い弁護士の皆さん(もちろん私のように若くなくても)には、どんどんゼロ地区に飛び込んでいって欲しいと思います。また、沼田支部にいらっしゃった先生には、是非とも近所の温泉に1泊して、尾瀬登山やスキーを楽しんで帰られることをお勧めします。 |