関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

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ミズノ株式会社 顧問
水野正人さん

とき
平成26年5月16日
ところ
ミズノ東京本社(東京都千代田区)
インタビュアー
会報広報委員会委員長 西岡毅

 今月号の「わたし」は,水野正人さんです。水野さんは,スポーツメーカー「ミズノ」の元代表取締役で,現在,国際オリンピック委員会(IOC)スポーツと環境委員会委員であり,2013年まで日本オリンピック委員会(JOC)副会長等を歴任されました。東京2020年オリンピック・パラリンピック招致の際には,招致のCEOとしてご活躍されました。2013年9月のブエノスアイレスでの最終プレゼンテーションのお姿を覚えていらっしゃる会員の方も多いかと思います。そんな水野さんに,ミズノの歴史のお話から,オリンピック招致活動のお話までを伺ってまいりました。

水野さんは,幼少時代はどのようなお子さんでしたか。

水野さん 一言で言うとお坊ちゃま君でした。ミズノの創業者の孫として生まれて,眼の中に入れても痛くないというほど可愛がってくれました。

スポーツはされていましたか。

水野さん 子どもの頃は,スキーや野球をして遊んでいました。高校,大学は,サッカー部です。でも,大学では,私のポジションはずっとベンチ,自慢できることではないですが(笑)。

大学卒業後に留学を経験されていますが,留学の体験はいかがでしたか。

水野さん 私の人生を決めるような留学体験でした。大きく三つの刺激を受けました。一つ目,アメリカでは現地の友達が本当に親切でした。私がお礼を言うと,彼らは「My pleasure.(喜んで)」と言う。そこで,「人は物事を喜んでやっているのか。」と。この経験から,同じやるなら喜んであげようと考えるようになりました。二つ目,私は,留学にあたってアメリカの7つの学校に入学の申請を出しましたが,私が行ったカーセージ大学は,すぐに返事が来たんです。quick response。だからそこに決めました。これも私の生き様になりました。responsibility(責任)というのは,いかにきちっと対応するかということですが,responseをしっかりすることが,responsibilityなんだと。

今,pleasureとresponseのお話をお聞きしていて,これらは,法曹業界にとっても大切なことだと思いました。法曹の仕事にはどうしてもトラブルが関わってきますから,気が重いジャンルのお仕事も多々ありますが,ただ,やるのであれば,早く対応して,pleasureという気持ちでやるというのは大変参考になります。

水野さん どの業界でも大切なことですね。留学体験で得た三つ目ですが,アメリカ人にはなかなか面白い人がいて,彼らはものすごくchallengingですね。これは日本語で言うと「ダメ元」です。失敗もありますが,いろんなことにどんどんチャレンジする。

その留学から戻られて,ミズノでお仕事をされるわけですが,まず,ミズノの社名の由来を教えてください。

水野さん 祖父の名字が「水野」と言いますが,祖父は岐阜県の養老の出ですから,美濃の間に大阪に来たということも含めて,「美」と「濃」の間に「津」という字を入れて「美津濃」という屋号にしました。「津」を入れたのは,祖父がこの会社はファミリーだけではなくて,本当に能力のある人がこの会社を発展させていけばいいという意味を込めたということです。今も正式書類は「美津濃」ですね。ただ,一般の名称としては,全部カタカナの「ミズノ」に統一しました。

水野さんは,ミズノに入社された当初は,どういった業務を担当されていたのですか。

水野さん まずは,大阪で,衣料品を企画・生産する部署にいました。父からは,「失敗しないと学ぶものがない」と言われていました。あるとき,「絶対売れる!」と思った企画がありまして,それは生地を1万m注文しないと商品化できないというものでしたが,まあ利益が出ませんでした(笑)。そのときは,父が心配して「失敗していいとは言ったが,あんまり大きく失敗するな」と言ってましたね(笑)。その責任のせいか,1974年から3年間東京に来て交流部に配属になりました。東京に来てみると,「ああ,やはり東京が日本のへそだ。」と感じました。スポーツ関連の団体は,ほとんど全部東京にありましたし。それ以来40年,ずっと東京ですね。

大阪,東京と,色々なご経験をされたんですね。ところで,ミズノはプロ選手との契約もなさっています。野球ですとイチロー選手,松井選手ですが,そういった選手と契約されるのは広報的な理由からですか。

水野さん トップ選手との契約には,二つの理由があります。一つはおっしゃるとおり,選手に使って頂くことで世間に知られて,広告宣伝価値が非常に高くなる。もう一つは,製品開発のためです。トップ選手は常人にはない感性を持っているんですね。たとえば水泳の選手は水に手をつけると「今日27.5℃だな」と分かる。プロのゴルフ選手は,アイアンを持ったら「クラブのメッキがちょっと厚いんじゃないか。」と分かる。球離れというものが分かるんです。トッププロの彼らから色々とアドバイスをもらいながら,より良い製品を開発するんです。(靴をお持ちいただいて)例えば,これはカールルイスが世界記録を作った靴です。

すごく軽いですね。スパイクのピンの形も場所によって一つ一つ違うんですね。

水野さん カールルイスと話をして,彼は自分の走る能力で0.1秒を縮める,我々は靴を作る技術で0.1秒を縮めると。そういう発想でやりました。

それでは,オリンピック招致のお話を伺いたいのですが,オリンピックの招致委員会に入られたきっかけ,経緯を教えてください。

水野さん スポーツ用品メーカーの世界連盟の環境委員会に入ったのがきっかけです。元々星を見るのが好きだったんですが,仕事で東京へ来て愕然としたのが,当時,公害と言われたスモッグです。星が全然見えない。それで,環境を勉強することにしたのですが,たまたまスポーツ用品メーカーの世界連盟に環境委員会ができて,そこの委員になりました。

スポーツメーカーの連盟に環境委員会があるんですね。

水野さん 環境の問題は,「大変なことになった」と気づいた時には間に合いませんので,世界共通の課題です。温暖化による気候の変化は急速に進んでいます。例えば,プロスキーヤーはヨーロッパの氷河で練習しますが,温暖化のせいで,以前より高い標高にまで行かないと雪がない,練習場所がないと。逆に,温暖化のせいで北極の氷が解けて,寒気団が広がっている所もあります。寒くなるのも地球温暖化の影響なんですね。

それで,メーカーの環境委員から国際オリンピック委員会(International Olympic Committee)(IOC)や日本オリンピック委員会(Japan Olympic Committee)(JOC)に入られたんですか。

水野さん 95年にIOCにも環境委員会ができて,発足時からずっとそこの委員もしています。そして,IOCの指令を受けて,JOCにも環境委員会ができました。それでJOCの理事の役割の中で環境委員会の委員長もお引き受けしました。

IOC,JOCの委員のご経験から招致委員会へ入られて,活動をされたんですか。

水野さん 2016年のオリンピックの招致のときには,招致委員会には入っておらず,JOCの理事として招致活動をしました。というのも,ミズノはIOCのオフィシャルサプライヤー,公式納入業者なんですね。IOCのメンバーやスタッフのコスチュームはうちで全部作っていたんです。利益相反の問題があって,招致委員会の委員になるのはダメだと。

招致活動は,招致委員会だけでなく,JOCも行うんですね。ただ,残念ながら,2016年のオリンピック招致は成功しませんでした。

水野さん 招致は1回ではなかなか成功しないんですね。マドリードも今回3回目,イスタンブールも5回目です。やはり,そう簡単ではないのです。

その次の2020年のオリンピック招致活動はすぐに開始されたんですか。

水野さん 日本へ戻ってすぐに「2020年も立候補しよう」ということになって,私が戦略本部長になって準備を進めました。ところが2011年,いよいよIOCに届け出るというときに,3月に東日本大震災がありました。私たちは,こんな時に立候補するなんて,国民の理解を得られるかどうかを随分心配しましたが,被災地3県の知事に相談したところ,「オリンピックが来るとなれば,我々の復興に大変な追い風になる。日本中が元気になって,復興に加速がつくなら是非ともやってもらいたい」と言って頂きました。それで「松明の火は消さない,灯し続ける。」と当時の石原都知事が言われて,立候補しました。

今回は水野さんも招致委員会へ入られたんですよね。

水野さん はい。IOCから,今回も招致委員会に入れないと言われましたが,ミズノを辞めればいいということで,ミズノの代表取締役を辞めました。ですから,会社の車ではなくて自分の車で都庁に行ったり,地下鉄で移動したりして,様々な招致活動をやっていました。ただ,ミズノは,東京の招致を応援できないようでは申し訳ないということで,結局,IOCのオフィシャルサポートを降り,東京を応援するために東京のオフィシャルパートナーになりました。

オリンピック招致活動のポイントを教えてください。

水野さん まずは良い計画を作ることからです。東京の計画は,選手村から半径8キロ以内に85%の競技施設を入れるということで,本当にユニークです。我々はダウンタウンゲームと呼んでいます。次は,国民,都民支持率の獲得です。当初は47%でしたが,2012年のロンドンオリンピックでの日本の選手の活躍があって,2013年1月のIOCの調査では70%でした。その後8月に文科省が調査をしたところ92 %。これは本当に追い風になりました。

90%を超えたのはすごいですね。根回しのような活動もありますか。

水野さん はい,いわゆるロビー活動も重要です。招致委員会はIOCメンバーを訪問してはいけないというルールがあります。私は招致委員会でもありますが,JOCの副会長でもありましたので,JOCの立場でお目にかかってロビー活動をしました。

プレゼンテーション審査も重要でしょうか。

水野さん はい,大変重要なポイントです。IOCでの審査書面には,申請ファイル,立候補ファイル,評価報告書等があって,それぞれが電話帳のような厚さです。それが3都市分。IOCのメンバーが,これらにしっかり目を通すのは至難の業なので,プレゼンのほうが分かりやすいですよね。ということで,我々はプレゼンに随分力を入れました。

テレビで拝見しましたが,大変刺激的なプレゼンでした。

水野さん プレゼンは合計4回行われましたが,いずれのプレゼンでも,どのようなトピック,スピーカーにするかを考えてやりました。2016年の経験があるので,分かりやすくするためにスピーチを簡略化しようと。IOCのメンバーの3分の2は英語が母国語ではない方たちなので,ゆっくりと短いセンテンスで。そして,各スピーカーの話が連動して盛り上がるように。テーマは,emotionとsurprise。

プレゼンの練習もされるんですか。

水野さん 個別練習と全体リハーサルをやります。現地の大学の講堂を借りて,本番会場と全く同じようなステージを作って,リハーサルをやって,個別練習もしました。

大舞台ということで相当な緊張があるかと思いますが。

水野さん 特に緊張はしなかったです。ミズノはIOCのオフィシャルサプライヤーでしたので,2年に1回くらいコスチュームが変わる都度,IOCの総会で説明をしていたので,私は,そういった場には慣れていました。普段は結構ふざけた話もします。クイズを出して「正解者には1億円!」と言ったり(笑)。

候補地の結果発表のときのお気持ちをお聞かせください。

水野さん 他の人は割と楽天的だったかもしれませんが,私は緊張しましたね。いよいよダメだったら,大西洋に身を投げて,サメに食べられようかという覚悟でしたから(笑)。1回目の発表では,まず,会長から「イスタンブール,マドリードは同数,東京はその上にいる。」と発表されました。問題は票差です。有効票94票のうち,最悪のケースは,東京32票,マドリードとイスタンブールがそれぞれ31票というギリギリのケース。こういうときは,2位と3位の決戦投票の時に2位に勢いが付いて,最終決戦で1位が逆転されるということがあります。そのような逆転劇は過去何回もありました。でも最終的には東京に決まり,あとから票数を聞いたら,1回目の得票数は,42票対26票対26票で,差があったと。これが先にわかっていたら,腕組みでもして余裕な態度で結果を聞けたのですが(笑)。

オリンピックの開催には,法的な問題の克服もあったかと思います。

水野さん IOCに説明した14項目の中には,regal aspectsという点もあります。オリンピック期間中のWi-Fi開放のための電波法の問題や,ビザの代替制度の法整備,ロゴの保護といった知的財産権の問題等がありますね。法律の専門家に集まってもらって,法的側面もしっかり充足しました。

オリンピックの開催に向けて,日本が盛り上がっていきますね。

水野さん 我々が以前からIOCに言っているのは,2020年,世界の皆様に感動・勇気を共有してもらって,見事に復興・復活した被災地,日本をお見せして21世紀型の素晴らしいオリンピック大会を開催いたしますが,それだけではなく,2020年以降に素晴らしい遺産,社会を残しますと約束しています。2020年の開催がゴールなのではなく,新しい社会の始まりなんですね。有形の遺産としては競技場などがありますが,無形のものとして,文化,環境,教育,国際交流,ボランティアリズム,観光等が社会の中に染み込んでいくことを,オリンピックを契機にしてやりますよと。

私の知り合いの80歳ぐらいの方が,2020年のオリンピックが決まったと聞いて,「長生きしなきゃ。」とおっしゃっていました。

水野さん みなさん,そう言っていますね。本当に良かった。気を若く持つことは大事ですね。張り切ってみんなで頑張ってやっていこうと,日本中がその気になれば,日本はもっと良い国になりますよ。

今からオリンピックの開催が楽しみです。今日は本当にありがとうございました。


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