1 憲法、 地方自治法上の地方自治
日本国憲法 (以下 「憲法」 という。) は日本で初めて 「地方自治」 の章を設けた。 「地方自治の本旨」 (92条) は団体自治と住民自治から成る。 地方自治体はそれ自体自立したひとつの社会であることが憲法上承認された。 そこでは主権者である住民は、 議事機関である議会を構成する議員と、 執行機関である首長とを直接選挙で選任し (93条)、 ひとつの地方自治体のみに適用される特別法については住民投票が必要とされる (95条)。 地方自治体は行政執行権を持ち、 また条例制定権も保障された (94条)。 憲法が住民の意思に基づく地方自治体が作られることを強く望んでいたことは疑う余地がない。
ところが、 憲法と同じ1947年 (昭和22年) 5月3日に施行された地方自治法は、 憲法の要請に忠実に従うどころか、 膨大な行政事務を国の事務と位置づけた上で、 公選の首長を法的に国の出先機関として位置づけた。 膨大な機関委任事務は首長を国の下部機関にしてしまった。
他方、 地方議会については住民の代表によって構成される議事機関として重要な位置づけがなされるべきだったにもかかわらず、 地方自治法は議員定数を法定したり (90条、 91条)、 議決事件を限定し (96条1項)、 定例会の回数 (102条2項) を制限する一方で、 議会の監視対象である首長に議会の招集権限 (101条1項) や再議権 (176条)、 専決処分権 (179条) などの権限を与え、 さらに国家公務員法 (102条)、 地方公務員法 (36条)、 裁判所法 (52条1号)、 公職選挙法 (1条参照) などで厳しい制約を設けて様々な職種の人々が議員に立候補することを禁止した。
これらの事情もあって、 現実の地方自治の状況は、 首長も議会も住民の意思とかけ離れた行政・議会活動を行うという異常な事態さえ生じている。
2 主権者意識と責任
(1)臣民から主権者へ
人々の憲法上の地位は、 大日本帝国憲法下の天皇の臣民から主権者に変わった。 支配される対象から統治する主体に変わった。
人々が法的に一方的に支配される社会では人々は支配者に従わなければならないと同時に従っていればよかった。 政治的にどのような問題が生じても、 それは支配者や為政者の責任だから他人のやったこととして非難するなり我慢するなりしていればよかった。 しかし、 自らが統治する主体になると統治する立場の者として社会に対して責任を負わなければならなくなる。
日本の歴史で初めて一般の人々が法的に主権者となろうとするとき、 主権者として責任を負うということは具体的にどのようなことなのか、 民主主義社会に相応しい国家権力、 地方権力のあり方はどのようなものであるべきかということについて、 あらゆる場面において議論し、 意識的に主権者意識を形作っていくという作業をしなければならなかった。 しかし、 日本社会の人々はこの地道で手間がかかる作業を怠った、 と言うよりも、 この作業がその後の日本社会を如何に規定するかという重要性に殆ど気づいていなかった。
(2)民主主義を支える制度
民主主義はそれぞれの社会の歴史の積み重ねとして実体化して行くものであるから、 どこかの国の制度で都合よさそうなものが見つかったからちょっと借用してみようというわけにはいかない。 その制度は他の多くの制度と密接に関連しているはずだし、 その制度だけからは見えて来ない社会の力 (NGO、 民間企業、 学校、 家庭など) が強く働いている可能性があるし、 なによりもその社会がその制度を必要としている社会的歴史的背景がある。
紆余曲折があるによせ民主主義の歴史の歩みが長い国 (社会) が辿り着いた制度を、 民主主義の歴史の歩みが浅い国 (社会) が形だけ採用しても、 すぐに同じように機能させることはできない。 民主的な議論による試行錯誤の積み重ねが民主主義社会の歴史を形作っていく。 日本の社会で戦後今日までどれほどそのような議論が行われてきただろうか。
(3)住民の責任
憲法は地域住民に地方自治を保障した。 地方自治のごく基本的な枠組みを示しただけで、 あとは 「法律」 と住民に委ねた。 そして 「法律」 は細々としたことまで規定するようになったが、 地域住民は地方権力のあり方について意識的、 意欲的に取り組むということをして来なかった。 地方自治の空洞化は 「法律」 の責任でもあるが、 主権者である住民の責任でもある。
3 新たな展開
(1)地方自治体と住民の対立
住民が地方自治の担い手 (主権者) であることを現実的な権利・権限・責任として強く意識しないでいる間は、 首長が国の下部機関として機能していても、 議会が地域住民の代表として首長の行政実務を批判せず創造的な制度作りをしないで首長と一体化していても、 住民は特に問題としない。 地方自治体が民主主義的に運用されていると軽信 (民主主義の歴史がない以上、 信じることは 「軽信」 でしかない) して来た人々は、 自分たちの正当な要求は当然地方自治体に受け入れられ、 実現するものと考える。
しかし、 人々は徐々に気づいていく。 公害で苦しんでいる人が地域にたくさんいるのに首長も議会も適切な対応を取ってくれない。 黙って付き従っていれば生活を守ってくれると信じ切っていた地方自治体が切実な住民の期待に応えない。 それは単なる怠慢か、 それとも法律的な限界か。 いずれにしても地域の重要な問題について住民が黙っていると状況は益々悪くなるばかりだということに住民は気づき始めた。
そのような住民の意識の変化に地方自治体がついて行ければよい。 しかし、 国の下部機関として位置づけられている首長や、 首長と一体となることによって地域の発展に貢献してきたと自負している議会には、 住民の立場に立った軌道修正ができない。
住民は自分たちの意識から遠く隔たった地方自治体の現実と仕組みを知る。
(2)機関委任事務の廃止
新地方自治法は機関委任事務制度を廃止した。 これは首長が国の下部機関として仕事をしなくなるという法的な意味を持っており、 法的には極めて重要な意味がある。 地方自治体が創造的な政治を行う可能性が広がったのである。 それだけに、 機関委任事務の廃止の意義について首長と議会が深く理解することの意味は極めて大きい。
しかし、 住民の強い要請の結果としての廃止でなかったことはそれはそれで問題だった。 地方自治体が国の下請け機関として機能することは明治期から位置づけられていたことであり、 憲法が施行された後も地域住民から強く反対されるでもなく機関委任事務として制度を通じて約55年間の長きにわたって続いていただけに、 全国の首長と議会が一挙に180度転換の意識改革をできたとはとても思えない。
機関委任事務の廃止が地方自治にもたらす意味を首長も議会も住民も深く考えるところに本当の地方自治が始まる。
4 議会が変わるために
(1)議会の創造的な発展
現在、 ともすれば、 地方自治体にあっては首長の座に英明な人物が就任することが地方自治体の民主主義の発展にとって唯一救いであるかのように考えがちである。 しかし、 様々な考え方の人々がひとつの共同体社会を営んでいることを前提に民主主義的な運営を考えると、 首長個人の人柄や能力、 語り口だけに頼るのは矛盾である。
地方自治体における民主主義が創造的に発展するには、 地域住民の代表者で構成される地方議会が創造的に発展することが不可欠である。 そのためにはまず何よりも、 地方議会がどのようなことをしているかをより多くの住民が直接見て知ることであり、 まともな議論には賛意を示し、 問題のある議論には疑問や批判を示し、 主権者としての意思表示をすることである。 このような反応が日常的に住民からあってこそ、 議会は自分たちが住民のために地域社会にとって重要な事柄を決定しているという自覚を持つことができる。 議会が変わるためには住民の意識が変わらなければならない。
(2)候補者 (議員) の多様化
議会の意思が住民から離れる主な原因は、 議員の構成と議会の運用である。 民主主義は様々な立場、 考え方の人々が同じ場所に集まって一つの問題についてその解決方法を議論しながら考えるという手続であるが、 今日のような地方分権の時代では地方自治体が対応すべき問題は多岐にわたり、 しかも相互に密接に関連し合い複雑化し、 法制度も複雑化してきているだけに、 様々な立場の人々が議員になれる仕組みになっていることは極めて重要である。
ところが、 現在の日本の法制度や議会運用は様々な分野の専門家たちが議員になれないように作られ、 運用されている。 例えば、 国家公務員や地方公務員は日常業務を通じて地方自治体が抱えている問題やその解決策などについて精通しているが、 彼等が政治活動をしたり議員になることを法律は厳しく制限している (国家公務員法102条、 地方公務員法36条)。 裁判官も議員になることが禁止されている (裁判所法52条1号)。 公職選挙法は衆議院議員、 参議院議員の選挙のみならず、 地方自治体の首長や議員の立候補 (89条) や選挙活動 (92条、 129条以下) についてまで一律に広範な規制を設け、 「公明且つ適正」 (1条) の名において費用のかからない選挙活動を自由に行うことを候補者に禁止している。
国会議員や県議会議員についてはとりあえず置くとして、 市町村議会で取り上げる政治課題は住民にとって身近なものが多く、 素人でも議論に参加しやすい。 素人とは言っても地元の者として事情に精通しているということで、 いわゆる専門家や学識経験者よりも的確な判断ができるということは大いにあり得ることである。 市町村議会の議員の選挙については公職選挙法とは別の制度 (法律又は条例) によってもっと自由な立候補と選挙活動が認められるべきである。
贈収賄や買収のような犯罪行為を禁止することは当然として、 様々な職種の人々が地方議員になれるように、 少なくとも住民にとって身近な市町村議会の議員選挙については立候補の妨げになるような規制を極力なくすべきである。 そうすれば、 議会の議員構成は現在より遥かに多様化し、 議会の議論は一層活発になり法的処理能力も格段に高まるに違いない。
公務員が議員になることについては本来の職業上の公正さを損なうのでないかと心配する向きもあるだろうが、 その心配に一体どれほどの真実性があるだろうか。 必要なことは 「公正らしさ」 ではなく、 「公正であること」 それ自体である。 公務員に 「公正であること」 ではなく 「公正らしさ」 を求めることは欺瞞である。 本来の職業について 「公正であること」 を維持できる自信と責任を持てない公務員は議員になるべきではない。 現にドイツでは地方議会の議員になっている裁判官が100名以上おり、 そのことが裁判を歪めているという批判はないし、 地方議会の運用上支障が生じているという批判もない。 ドイツの公務員にはできるが日本の公務員にはできないという判断は本当に正しいのだろうか。 同じ地方自治体の職員と議員を兼ねることが相応しくないと考えるとしても、 現業の職員であれば問題ないはずである。 非現業の職員であっても自分が働いている地方自治体とは別の地方自治体の議員になることは問題ないはずである。 公務員がその職務上身につけた様々な知識や技術は議会の運用に必ず役立つはずである。 「法による行政」 を地方自治体に貫徹する上で公務員や裁判官が議員として地方自治に関与することの意義は大きい。
(3)議会の運用方法の問題
問題は立候補や選挙活動に関する法律上の制限だけでない。 平日の昼間に議会が開催されることが、 議員の職をまっとうできる人の範囲を極端に狭めている。 夜間や土日に開催すれば平日の昼間に働いている者も遠距離通勤でなければ議員の職をまっとうできるようになる。 議会・委員会を傍聴したいと考えている人々にとって夜間や土日の議会であれば傍聴しやすくなる。 夜間・土日議会が多くなっていくならば議員になる者の職域は現在より遥かに広がるだろう。 現在、 夜間・土日議会を開く地方議会が市町村で増えているが、 平日の昼間に開催することが前提となっていて、 傍聴者へのサービスとして例外的に行われているに過ぎない。
夜間・土日議会を開催しやすくするには、 現在の議会・委員会の運用スタイルも大きく変えなければならない。 現在の議会・委員会は議員相互間の議論ではなく、 執行機関に対する質疑・質問がほとんどを占めている。 この運用スタイルだと、 どうしても執行機関側の多数の職員が議員からいつどのような質問をされるか判らない状況のまま長時間待機していなければならない。 待機させられている職員にしてみれば日常の職務が滞るだけに1日でも早く会期が終わって欲しい、 夜間議会や土日議会など論外ということになる。
議会・委員会で議論する議題について議員が自分たちで執行機関側に問い合わせるなどしてよく調べておき、 疑問点について議員同士で話し合うということにすれば、 執行機関側の職員が仕事をしないで無駄に待機している必要はないし、 議員間の議論も深まる。 そうすれば、 待機する職員数は著しく少なくしてよいはずであり、 夜間や土日議会を開催しやすくなる。
本来の職業と議員としての職務とが両立するようになると、 議員報酬の考え方もかなり変わって来るだろう。
5 住民投票の制度化にむけて
(1)住民投票の出現
今日、 住民投票を行って自らの意思を積極的に地域政治に反映させようとする住民の新しい動きが出てきている。
1996年8月4日に新潟県巻町で日本で初めて条例に基づいて住民投票が実施されて以来、 現在まで5年間で12例の住民投票が行われている。 最近では、 やはり新潟県刈羽村で、 2001年5月27日にプルサーマル計画の受け入れをめぐって住民投票が実施され、 有権者数4,090人に対し投票率は実に88.14%となっている。 7月29日には、 埼玉県上尾市で、 さいたま市との合併の可否をテーマに住民投票が行われている。
巻町の住民投票で言えば、 最終的な住民投票の結果からすれば、 有権者数23,222人のうち、 その88.29%である20,503人が投票に行き、 全投票の60.85%で、 有権者総数の53.73%である12,478人が原発に反対しているのにもかかわらず、 その住民の意思を町長あるいは議員が当初全く尊重することがなかったことから、 従来のいわゆる保守層の町民の間から、 直接住民の意思を表明する住民投票を求める動きが生じてきた。 議員が住民の意思を全く省みることなく、 本来住民の意思を町政に反映すべき議会が機能不全に陥っていたところから、 町民が直接自らの意思を表明することを望んだのである。
巻町での直接請求が可決された1995年10月3日以来住民投票条例を求める住民の直接請求は、 2001年7月16日の沖縄市での泡瀬干潟の埋め立てをめぐって住民投票の実施を求めた直接請求までの6年間で、 76例存在している (住民投票立法フォーラム ホームページ 住民投票の歩みから)。 この間住民投票の実施を求める実に多くの住民の請求が議会によって否決されている。 例えば、 神戸市では、 神戸市営空港建設計画の是非をめぐる住民投票の実施を求めて、 1998年9月に有権者数約115万人の26.7%である307,797人の有効署名を集めて住民投票条例制定の直接請求を行ったが、 神戸市議会では同年11月8日12対50の賛成少数で条例案を否決した。 計画推進の立場で当選した現職市長の得票数27万票を3万票も上回る住民の署名数を議会はあっさりと無視したことになる。
しかし、 その後も、 直接請求による住民投票は、 先に挙げた刈羽村、 上尾市において実施されている。 このように、 いかに議会に否定されようとも、 この住民投票を求める住民の動きは今後ともますます大きなものとなってゆくと考えられる。 首長や議会が住民の意思と離れた存在となっている一方、 地域政治における主権者としての意識を持ち始めた住民がその意思を直接表明する手段として住民投票の有する力に目覚めた以上、 住民投票を求める大きな流れは止めることはできない。 住民投票運動を行った住民は、 政治的に目覚め、 住民投票の効力とその限界を理解し、 ざまざまな場面で地域政治への参画に努めるようになるであろう。 その意味で、 住民投票は、 地域政治における住民の権利と義務を学ぶよい機会ともなる。
(2)情報公開と権限委譲
我々は、 住民投票の積極面を評価して、 制度化を進めようと考えるものであるが、 住民投票のマイナス面があることを否定するものではない。 住民投票は、 感情に流される、 冷静な判断は困難であるなどの批判がある。 確かに、 住民の政治的成熟度という面では、 まだ我が国では、 討議なしで結論につき直接的に賛否を求める住民投票は、 とかく情緒に流され、 真に正しい判断がなされにくいという危険性があることを完全に否定できない面はある。 また、 高度な政策的・専門的判断を要する問題は住民投票になじまないという指摘もある。 しかし、 巻町の原発に関する住民投票、 可動堰に関する徳島市の住民投票をはじめとして、 実際に行われた住民投票では、 住民はその対象事項について真剣に勉強して理性ある判断をなしている。
そこで、 住民投票が真に望ましい姿で行われるためには、 対象事項に関する情報の公開と提供が前提条件となる。 特に行政の有する情報の公開が重要で、 行政側からの提供及び住民側からの情報公開制度の利用等による情報の開示の請求が必要となる。 さらには、 賛成意見と反対意見を争点ごとに整理した公報等の配布、 事業や計画の費用便益分析や代替案の提示などが十分になされる必要がある。
このことは、 住民投票に限られない。 住民が地域政治にその主権者として参加してゆくためには、 地域政治に関する情報が住民に豊富に提供されなければならないし、 住民側からの情報公開の請求制度がこれまでにもましてさらに充実してゆかなければならない。
地域に関する情報に住民が常日頃から充分に接して関心を有していてこそ、 政治的に成熟した地域住民による意見の表明、 意思決定が可能となる。 情報公開条例のさらなる普及、 オンブズマンのさらなる活躍、 情報公開法の活用の充実に期待したい。
住民投票を求める動きは、 行政あるいは議会が住民の意思と離れた行動を取り、 住民の声に全く耳を貸さない状況に対し、 住民がせっぱ詰まったところから起きてきたものであるが、 それらの住民の意識は、 「自分たちの生活に関係する地域のことは自分たちで決めたい」、 「地方政治に関する事項は、 地方政治の主権者たる住民の決定権限に帰属するはずである」 との、 いわば地方政治における主体としての目覚め、 認識に発展してゆく。 地方政治における主体として目覚めた住民が様々な住民参加制度を駆使した上で、 最後の手段として住民投票が存在すると位置づけられる。
その意味で住民投票はあくまでも手段であって、 その目的とするところは、 地域に関する事項は地域住民の意思によって決定するとのいわゆる住民自治の実現である。 そのためには、 本来地域住民が有すべき地域に関する事項の決定権限をできうる限り、 国、 都道府県から都道府県、 市町村に権限委譲、 住民側からすれば本来有すべきものを取り戻すことが必要である。 地域に関する事項について地方自治体が権限を有してこそ、 住民の意思表明、 意思決定の手段である住民投票が地域 (自治体) としての意思決定に大きな位置を占めることになる。
(3)住民投票の制度化
(1)に述べた住民投票を求める地域住民の動きを受けて、 地域に関する特定の事項に関し、 直接に住民の意思を問う住民投票の制度を、 まずは、 諮問型住民投票制度として各地の自治体においてその一般条例化を進めることを提言する。 諮問型として制度化を進め、 住民投票制度の定着を進める一方、 当該地方自治体に決定権限のある事項については、 法的拘束力ある住民投票が可能となるよう、 地方自治法の改正ないしは住民投票法の制定により法律的な制度の基礎付けをはかってゆくべきである。
住民投票を制度化する動きは、 現在進展中の我が国各地の住民投票運動の実際、 条例制定請求を受けている各地の議会の実情、 住民投票制度に対する各地の地方議員の認識の現状、 現実の政治状況等を判断しながら、 進めてゆくべきと考える。 住民投票 「規制」 条例、 住民投票 「規制」 法となる危険性は現実には否定できないからである。
各地方の首長、 議員の住民投票に対する認識等を見れば、 住民投票に関し 「議会軽視」 などの批判にあるように、 自分たちが否定されているような拒否反応がまだまだ多いように思われる。 そこで、 我々は、 住民投票をその拘束力の有無を基準に、 諮問型と拘束型に分けて整理してみた。 そして諮問型については、 現在でもすぐに、 法改正も必要とすることなく、 条例にて制度化することが可能であるので、 各地の自治体の現状に合わせた住民投票条例の一般条例化を進めるべきであると考えた。 自治体の人口規模、 住民参加制度の現状、 過去における住民投票運動の実績など各地の実情に合わせて、 弾力的に制度化を進めるべきである。 各地において住民投票を求める条例の直接請求が議会の否決によって阻止され、 住民投票を求める住民の意思が議会により否定されることのないよう、 住民が一定の署名を集めて請求した場合に議会の議決を要せず、 当然に住民投票が実施されるよう、 住民投票の制度を一般条例化すべきである。
他方、 拘束力のある住民投票制度も、 諮問型住民投票制度と併存しうるものであるので、 各地において条例化をすることができるよう、 法律によってその根拠を基礎付けることが必要である。 拘束力ある住民投票は、 現実には我が国ではまだ国あるいは地方自治体の執行部、 議員に拒否反応があることは否定できず、 場合によっては実質的な住民投票 「規制」 法とされてしまう危険性が現実的にあると言わざるを得ない。 そこで、 諮問型として住民投票制度を各地の自治体に定着させた上で、 制度化を望む自治体には可能となるよう、 法律をもって拘束型住民投票の法的基礎付けを行うべきである。 その場合でも、 制度の細目は条例に譲るべきで、 最低限の基本的事項を法律化すれば足りると言うべきである。
尚、 このように住民投票を制度化しても、 その位置づけは、 種々の住民参加制度の内の一つであって、 住民投票が住民の意思の地方政治への反映手段として絶対視されたり、 万能視されたりすべきではないことはもちろんである。 住民投票を実際に実施するには、 多大な費用と住民のエネルギーが必要であり、 かつ、 望ましい姿で実施されるためには常日頃からの情報の公開、 住民の地方政治への参加意識の育成、 政治的成熟、 種々の住民参加制度の充実が必要であり、 かつ、 望ましい姿で住民投票が実施されてこそ、 住民と議会との間にも適切な緊張関係が保たれ、 議会の活性化とともに、 住民投票制度が定着することが可能となる。
(4)主権者としての住民の住民投票
従来型の住民投票は、 議会が住民の代表機関として十分に機能していないと多くの住民が実感するとき、 住民がその意思を直接的に表明する手段として行われた。 首長の行政姿勢に問題があると住民が考えた場合も同様である。 しかし、 地域社会において、 住民の主権者意識が育ち、 住民こそが主権者として責任を持って地方政治に関与して行くべきだと考えるならば、 首長や議会と住民の考えが対立しているか否かを問わず、 地域社会にとって重要な問題については住民投票にかけるという選択肢がでてくる。 住民が主権者の責任において住民の意思をはっきり示して、 首長、 議会の政治判断の方向性を示唆・決定する意味は大きい。
しかし、 そうだからといって、 もちろん議会の役割が軽くなったり、 議会が無用になるわけではない。 いくら住民意思の重要性を強調したところで実際に有意義な住民投票を行う場合には、 膨大な人と時間と手間と費用を要する。 現実問題としてとても日常的にできることではない。 住民投票を必要とする状況があると住民が考える場面がほとんどない自治体もあれば、 数年に1回くらいの自治体もあれば、 1年に1回くらいの自治体もありうる。 しかも同じ自治体でも状況に応じてこの回数は流動的である。 いずれにしても住民投票が議会に取って代わることはあり得ない。 議会が地方自治体の議決機関として重要な役割を果たすべきは住民投票を採用するか否かにかかわらない。 しかし、 住民投票が制度化されれば、 住民と議会は程良い緊張関係を有することになり、 議会は常に住民の意思の所在を緊張感を持って確認することになろう。
6 結 語
そこで、 真の住民自治の実現のため、 一つには地方議会が本来果たすべき役割を可能とするような運用改善と法改正が必要であり、 もう一つには主権者である地域住民が判断をなすため、 住民参加制度を充実させると同時に、 住民投票制度の導入を図るべきである。 我々は、 住民投票を求める地域住民の動きを地方政治を変えて行く大きな力と考え、 住民参加の制度を種々拡大・発展させて行く一方、 最終的に住民の意思を直接的に表明、 実現する手段として、 急務の課題として諮問型住民投票制度の一般条例化を提言するものである。
2000年4月から施行された新地方自治法によるこれからの地方分権時代は、 「条例による行政」 の時代になるはずだということを考えると、 地方議会の首長からの相対的な自立と議会活動の活発化が必要不可欠である。 住民自治が 「地方自治の本旨」 であることからすれば、 地方自治体にとって重要な問題は住民の代表者によって構成される地方議会において責任ある決定がなされるべきであるし、 住民の意思が多面的に議会に反映され、 かつ首長がこれらを尊重して執行するようにならなければならない。
主権者としての地域住民の意思が地方自治体の政治で尊重されなければならないことからすると、 種々の住民参加制度を充実・発展させつつ、 特定の政策について住民の意思を直接問う住民投票制度が導入されるべきである。 住民投票制度は首長や議会と常に対立する場面で必要だということだけでなく、 首長や議会の意向はともかくとして重要な問題については住民自ら決定すべきだという住民自治の考え方に基づくものである。
憲法の保障する住民自治の現実的な実現方法として、 議会が創造的に発展するための運用改善と法改正を、 また住民投票制度の導入を提案する。 |