平成16年度
    里山保全の新たなる地平をめざして


シンポジウム報告基調報告書籍紹介

基調報告
平成16年9月25日栃木県藤原町鬼怒川温泉あさやホテル
報告者 シンポジウム委員会委員 橋本 賢二郎

 皆様、おはようございます。ただいまご紹介いただきました本年度シンポジウム委員の橋本でございます。私のほうから簡単に基調報告を行いたいと思います。
 本日のシンポジウムのテーマは「里山保全の新たなる地平をめざして」というものでありますが、本日ご出席の皆様も「里山」という言葉はお聞きになったことがおありかと思います。
 今回、なぜ私たちが里山保全の問題をシンポジウムのテーマとして選んだのか、法律実務家である弁護士のわれわれが、このようなテーマに取り組むことに奇異な印象をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。
 10年前にこの地で関弁連シンポジウムが開催されたとき、やはり里山の問題をテーマとしてパネルディスカッションが行われました。その当時はまだ「里山」という言葉があまり一般に認識されていない状況でした。そして10年前のシンポジウムでは、自然保護のスローガンが叫ばれるときに対象とされてきたのは主として原生的自然、すなわち人の手が加えられていない自然を守るという意識が強かったことに対して、人の手が加えられることによって形成されてきた二次的自然としての里山が、原生的自然と同様に重要な意義を持っていることを指摘し、伝統的に里山が果たしてきた機能が現代においては失われてしまったことから、里山に新たなる意義づけを試みてその復権を求め、提言を行いました。
 そして10年が経過し、10年前に私たちが指摘した里山の重要性が社会一般に認識されるようになりました。里山保全をめぐる種々の取り組みがなされるようにもなってきました。
 そのため、里山は、10年前に私たちがその保全を求めたとおりに守られてきているのか、守られていないのだとすれば、その原因はどこにあるのかを再度検討しまして、再び里山の保全を社会に向けてアピールしようというのが、今回の私たちの最初の発想でした。それは、里山という最も身近な自然を保護していくことが、環境における人権の問題として重要だと考えられるからです。そして1年余りにわたり検討を続けてきた結果、環境問題の重要なテーマである持続可能な社会の実現と里山保全の問題とが密接な関係にあるという結論に至りました。
 前置きが長くなりましたが、以下、簡単にご説明したいと思います。
 まず、里山という言葉は、里に近い場所にある雑木林というイメージでとらえられ、厳密な定義づけというものはいまだ確立していない状況です。ただ、「里」すなわち人々が暮らす領域に近い場所に存在してきたために人が立ち入ることが多く、そのために人の手が加えられることによって形成され、維持されてきたものという点で大枠としてはとらえることができると言えます。そして、最近では、里山とは集落を取り巻く雑木林のほかに、農地、ため池、草原などの異なる生態系によって構成される一帯の地域としてとらえられるようになってきています。
 典型的な里山としましては、大きく分けて2つのタイプがあると言われています。1つは樹林地と谷津田、つまり低い丘陵地あるいは大地を刻んで発達する谷の底地に開かれた水田との組み合わせによるもの、もう1つは平坦な台地上にある樹林地のものです。それぞれ代表的な例の写真を示すと次のようになります。
 これは宍塚御池といわれる場所ですが、茨城県の土浦市とつくば市の境にある農業用ため池とこれを取り巻く里山環境です。中央に写っているのが谷津田といわれるもので、これを取り巻く雑木林の環境がわかると思います。次は長岡樹林地という場所ですが、これは栃木県宇都宮市にある、やはり谷津田と雑木林が一体となった里山環境です。
 次は、三富、サントメ地区と読むのですが、埼玉県所沢市、三芳町、川越市、狭山市、大井町にまたがる地域に見られる平地林としての里山環境です。これは同じ地区を別な場所から遠景でとらえたものですが、この地域の特徴としては、農地と屋敷林と平地林とが一体となって短冊形の地割を形成しているという特徴があります。歴史的には日本の産業の中心が第一次産業にあった数十年前まで、日本人の大多数が農的環境の中に住んでいました。そして人々は里山に入って燃料である薪や炭を手に入れ、また山に豊富にあった落ち葉を利用して堆肥を得て、これを農作に使用してきました。そのため、里山は人々の生活や生産を維持する上では不可欠な機能を持っていたことから、人々は里山を利用し続けられるように大切に維持管理をしてきたわけです。
 ところで、わが国の産業の中心が第一次産業にあった時代は数十年前に終わりを告げ、人々は農的環境から都市へと移り住み、わが国の産業は第二次、第三次産業へと重点を移し、産業構造は大きく変化しました。
 その結果、モノを大量に生産し、大量に消費し、大量に廃棄する社会経済のあり方へと変わっていきました。また、第二次世界大戦後、石油化学工業が飛躍的に発達し、エネルギーは石油やガスという化石燃料を中心とし、人々の日常生活においても薪や炭というものはほとんど使われなくなっていきました。また、農業生産の場でも、肥料は化学肥料が主流となり、里山からもたらされる落ち葉の堆肥などは使われなくなりました。
 このように社会経済のシステムが変化したことから、里山が伝統的に果たしてきた機能というものは、人々の生活にとっては無意味なものとされるようになってしまったのです。
 その結果、里山は必要性がないものとして人々が管理することがなくなり、荒廃するようになりました。
 具体的には、里山で典型的に見られるコナラやクヌギなどの落葉広葉樹は、おおむね15年から20年の間隔で伐採を繰り返しますと、切り株から新しい芽が出て再度成長します。このことを萌芽更新と言いますが、そのような定期的な伐採をしなくなりますと、木そのものは大きく育ちますが、寿命を迎えると枯れてしまい、新しい木が生長することが難しくなります。また、下草を継続して刈り取っておかないとササなどの藪を形成してしまい、そのことからも落葉広葉樹林が発芽することを妨げるようになってしまいます。その結果、落葉広葉樹林は、常緑の照葉樹が優勢になってしまい、結果的に、もともとの林相とは違った樹林に遷移をしてしまいます。
 さらに、もともと里山は人々が暮らす生活圏に近い場所にあったため、都市に人口が集中しますと、住宅地などに開発するために伐採されてしまい、樹林地としての形自体がなくなってしまうわけです。
 このような管理の放棄による荒廃と、開発のための消失という理由から、里山はここ数十年の間に相当の面積が失われてきたと言われています。環境庁が集計しました現在の日本の二次林の植生タイプの分布図を示します。二次林というのは、人の手によって形成されてきた森林ですが、おおむねこのような分布になっていると言われています。
 拡大するとこういうことですが、少し見づらいですが、赤いところが赤松、あるいはシイ、樫類、緑のところがミズナラ、コナラなど。東日本と西日本で二次林の植生タイプが違うことがわかると思います。
 それに対しまして、里地、里山の分布状況はこのようなもので、おおむね二次林の分布状況にはオーバーラップしていますけれど、二次林と比べると中央のほうが少ないというのがわかるかと思います。
 そこで、10年前のシンポジウムでは、既に里山の多くが失われていた状況を受けて、里山の伝統的な価値以外にも生物資源を保存する機能、国土を保全し、災害を防止する機能、私たちの生活環境を保全し、また、保養であるとか、レクリエーションなどアメニティーの機能があることを指摘しまして、里山を保全していくこと。そのためには里山、及び里山と密接な関係がある農地、水辺、民家などの身近な自然における豊かな生態系や景観の保全と管理を目的とした立法措置を講ずること。その際、各地方自治体が景観や生態系といった多様な観点からの環境調査を実施して、これに基づく環境管理計画を策定することなどを提言いたしました。
 その後10年が経過したわけですが、里山という言葉はさまざまな局面で用いられる一般的な言葉となり、国や自治体では里山保全のための具体的な施策が開始され、先進的なNPOなどの取り組みなども各地で行われています。
 それでは、里山は私たちが訴えてきたように十分に守られてきているのでしょうか。答えは残念ながらNOと言わざるを得ないものと考えております。それは端的に表現すれば、代表的な里山は守られても、名もなきありふれた里山は依然として放置され、消失していっているということであると思います。
 まず、国レベルでの施策としては、里山保全の問題意識が、環境基本計画や新生物多様性国家戦略において明言され、これらに基づき、自然公園法や文化財保護法などの法律の改正、また都市域における都市緑地法をはじめとする法制度、中山間地域における森林・林業基本法をはじめとする法制度などにより、里山保全のために有効に活用できる法制度ができつつあります。しかし、これらの法律は主として里山保全を目的としているわけではないので、その内容には限界があると思います。詳細につきましては、本日お配りいたしました報告書の第2章で検討しておりますので、ご参照ください。
 次に、地方自治体のレベルでは、各地で里山保全を目的とする先進的な条例が制定される動きが始まっています。また、各地で先進的な活動を行っているNPOがあり、これらについては、報告書の第3章で検討しておりますので、ご参照ください。
 このような動きはありますが、全体的には点としての里山保全のレベルにとどまっていると言えると考えられます。私たちが実施しましたNPOに対するアンケートの結果では、里山保全の障害となっている問題点として、一般的な問題点としては市民や行政、議会の議員などの環境意識が低いことなどが指摘されております。また個別な問題点としては土地所有権に対する制約がないこと、保全活動をしていくための人、もの、お金が不足していること、税制、とりわけ相続税が支障となっているという指摘がありました。
 詳しくは報告書の302ページ以下で述べておりますので、ご参照ください。
 ここで目を地球環境の問題に転じてみたいと思います。
 現在、地球環境の問題として、地球温暖化、熱帯雨林の減少や砂漠化、オゾン層の破壊、絶滅危惧種の増大などが取りざたされています。他方において石油や金属原料などの鉱物資源の枯渇の恐れということも言われております。
 そして、世界自然保護基金がまとめましたエコロジカル・フットプリント分析という手法によりますと、現在の地球人類の諸活動は、もともと地球が持っている環境容量を既に20%もオーバーしているという結果が出されています。
 このグラフは世界自然保護基金が作成したものですが、これによりますと、人類活動はおおむね1980年ごろ、地球の環境容量として1.0個分、つまりバランスが合っていたわけですが、ところが2000年になりますと1.2個分、つまり20%容量をオーバーしているということになっています。
 これはさらに各国ごとのエコロジカル・フットプリントをまとめたグラフですけれども、表の見方としては、青いグラフが赤いグラフよりも少なければ、その国のエコロジカル・フットプリントが健全な状態にあるという意味なのですが、残念ながらこの表で健全な状態にあるのはカナダだけ。日本に至っては相当大きな赤を出しているということがわかると思います。
 このようなことになった原因はわが国をはじめとして大量生産、大量消費、大量廃棄の社会経済システムが、地球全体の規模で行われていることにあると考えられます。そして、このような現在の地球環境を取り巻く状況からしますと、人類の諸活動は、そう遠くはない将来に先細り状態に陥ることになると言われています。その意味から、現在の世界は、持続不可能な状態にあると表現されています。
 このような現状を踏まえまして、今、世界では、現在の人類のさまざまなニーズを満たしながらも、将来の世代に対してもそのニーズが満たされるように人類の諸活動をダウンサイズしていこうという、持続可能性という理念がコンセンサスになっています。そして、持続可能な社会を実現するには、人類の諸活動を地球の環境容量内に収める必要があるわけですが、地球の環境容量というのは、要するに地球の自然環境が持っている生産力や回復力といった自然の力のキャパシティーのことであります。そして人間が生産している物質やエネルギーがそのキャパシティーの中で循環していく循環型社会を形成していく必要があります。そのような循環型社会を形成して初めて持続可能な社会に至ると考えられるのですが、持続可能な社会を実現するには、人類の諸活動による環境に対する負荷が自然のキャパシティーを超えない範囲に抑えるということとともに、自然のキャパシティー自体をも増やしていく必要があるということになります。
 また、現在の環境問題のもう一つのキーワードとして生物多様性という概念があります。これは自然の生態系を構成している動物、植物、微生物など、地球上の豊かな生物種の多様性を維持していこうというものであり、おおむね次のような4つのレベルで内容が把握されております。
 そして、この生物多様性の概念も生物相における持続可能性が損なわれているという危機感に基づくものです。
 初めに述べましたが、里山とは、単に集落に接近する雑木林だけではなく、田んぼや畑といった農地、ため池や小川、草地などの地域としての概念であり、そこには異なる生態系がいわばモザイク状に存在していました。
 そのように異なる生態系が一帯として相互に影響を与え合うことにより、そこには豊かな生物が生息できる複合的な環境が形成されていました。そのため、里山には豊かな生物多様性が守られてきたのです。ところが、現在、日本の絶滅危惧種とされているもののうち、半分近くが里山環境に生息していた生物であるとされています。
 これは環境庁が集計した動物の絶滅危惧種の集中地域と、それに里地、里山を重ね合わせたメッシュ図なのですが、このように里山環境に多くの動物の絶滅危惧種が存在しているということがわかっています。
 これは植物の絶滅危惧種を同じようにオーバーラップさせたものですが、植物についてもやはり、里山環境に多くのものが生息しているということがわかります。
 さらに、里山における典型的な生物であるメダカ、これが絶滅危惧種に指定されたというショッキングなニュースが数年前に流されましたが、これを見ると、まさに里山、そこにメダカがいるのだ、ということがわかるわけです。
 そうしますと、里山が失われていくということは、そのまま日本の生物多様性に致命的な影響を及ぼすものと言えることがわかると思います。
 さらに、先ほど、持続可能性ということの意味が、自然の生産力や回復力の範囲を人類の諸活動が超えないことであると述べました。それは、社会が持続可能な形を保つには、その裏づけとして、自然の生産力や回復力が豊かな状態を保っている必要があるということを意味しています。
 そして、冒頭に述べましたが、里山は伝統的には人々の生活や生産活動の源として機能してきました。
 そうしますと、伝統的な社会の諸活動は里山を源として持続可能な形が保たれていたと言えることになります。なぜなら、里山を人々が管理し続けることによって、里山を何世代にもわたって繰り返し利用できていたからです。
 そのため、里山は、持続可能な社会の象徴的な意味を有しているものと言えます。
 そこで、里山を保全していくことの意味を再度どのようにとらえるか考えていきたいと思います。
 今、述べたことからしますと、要するに持続可能な社会を実現することは、現在私たちが得ている工業技術文明の恩恵を放棄すること、要するに昔の生活に戻れ、という意味ではないかと思われるかもしれません。
 しかし、そういうことではないのです。
 先ほど、現在行われている里山保全の取り組みは、点としての代表的な里山の保全には有効であるが、それ以上のレベルには至っていないと述べました。
 そのことは、里山が持っている自然の生産力や回復力を発揮させるには不十分だという意味です。つまり、名もなきありふれた里山が十分に自然としての生産力や回復力を発揮してこそ、わが国全体の自然の生産力や回復力のキャパシティーが増大することになり、環境容量が増すことになるわけです。そのことがわが国において持続可能な社会を実現するための裏づけになっていくものだと私たちは考えます。
 そのため、里山を十分に保全・再生することは持続可能な社会を実現していくために自然が本来持っていた生産力や回復力を取り戻していくことにつながるので、名もなきありふれた里山を、点としてではなく面としていかに守っていけるかが、わが国において持続可能な社会を実現できるかどうかのバロメータであるとも言えると考えます。
 そして、里山がもともと多様なモザイク状の生態系の集合体であったことからすると、ある特定の場所だけを守るのではなく、1つの社会システム全体を守っていかなければならないと私たちは考えています。
 以上のようなことからすれば、究極においては、わが国社会のシステムを持続可能なものとしていくために、基本的な法制度が考えられるべきです。その前提としては、まず私たち一人一人の考え方を、経済成長至上主義から持続可能性へと転換していく必要があると考えます。
 その上で、ではどうしたら里山を面として守っていくことができるでしょうか。持続可能な社会を実現するための社会的コンセンサスを形成し、そのための基本的な立法措置を講じたとしても、里山保全再生のためには個別具体的な施策が必要と言えます。
 そのため、まず現在各地の条例で幾つかの例が出てきている里山保全再生を目的とした立法措置、これを法律として制定する必要があるものと考えます。その内容につきましては、報告書の418ページ以下で述べておりますので、ご参照ください。
 次に、里山と密接な関係を持っていた農林業の機能を高める必要があり、とりわけ農業については、そのあり方を持続可能なものにしていく必要があるものと考えます。また、林業を活性化させ、木質バイオマスの積極的な利用など、林業についても持続可能なあり方を目指すべきです。そのための私たちの考え方につきましても、報告書の423ページ以下で述べておりますのでご参照ください。
 また、都市域における緑地の保全再生のための取り組みも必要です。とりあえず、緊急的な方策としましては、相続税制度と建築基準法の見直しが必要と考えます。この点についての私たちの考え方についても報告書の441ページ以下で述べておりますので、ご参照ください。
 さらに、里山保全について大きな障害をなしていると思われる所有権の絶対性、これについても再度の検討を加える必要があるものと考えます。私たちは今回、海外視察に行きましたが、イギリスにおけるコモンズという概念を手がかりに共同資源管理という手法を考えました。この点についても、報告書の457ページ以下で述べておりますのでご参照ください。
 そして里山を契機とした環境教育も実践されるべきでしょう。とりわけ持続可能な社会を目指すということは、先に述べましたように経済的な利便性をある意味我慢しまして、競争を自制する、あるいはその上で共生していく、ともに生きていくという理性を必要とするものです。そのため、持続可能性のルールを正しく理解し、これを実践する高度の精神文化を育成していく必要があるのです。この点についても報告書の471ページ以下で述べておりますのでご参照ください。
 以上で、私からの報告を終わりとさせていただきます。