関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

関東弁護士会連合会ブログ「調子に乗って勘弁れん」関東弁護士会連合会ブログ「調子に乗って勘弁れん」

父と関弁連と私

高橋 辰三(東京弁護士会)

 

 東京弁護士会広報委員会で平成26年度より副委員長を仰せつかっている高橋辰三と申します。同委員会の先輩で関弁連の会報広報委員長を務めておられる方からこのブログの執筆を依頼され,それこそ勘弁(れん)して欲しかったのですが,先輩から仕事を振られるというのは何かしらの期待をされているという名誉なことだと前向きに解釈して,依頼から3か月くらい経ってやっと筆を執っています。

 

 さて,私と関弁連との関わりにお話を移しますと,私事になりますが,父が群馬県で弁護士をしていることから小さいころから関弁連のことはよく耳にしていました。子供のころ,父は関弁連に行ってくると,北は軽井沢,南は戸塚,東は大洗に,西は山梨富士桜まで遠征に行き,夜遅く自宅に戻ると戦利品と共に「千葉の新撰組を撃退したぜ」,などと自慢げに語っていたことから,関弁連というのは父上が戦に出かける合戦の場と思っていました。

 

 その後,私も東京で弁護士登録をし,独立したての頃に先輩から関弁連シンポジウム委員なるものにお誘いいただきました。この時もやはり,先輩からのお誘いだったので,ちょっと勘弁,とは言えず「外国人の人権」問題についてのシンポジウム委員に拝命戴きました。平成24年度関東弁護士会連合会定期大会は,幕張のホテルニューオータニで開催され,珍しく業務多忙期にあたってしまいましたがシンポジウム委員の末席を汚す新人委員として,一応顔は出さねばならないと思って朝一で幕張まで出向きました。同シンポジウムでは,担当会である千葉県弁護士会の先生方が大変熱心に運営にあたっておられたので,千葉修習だった私は修習時代にお世話になった先生方のお顔を拝見することができました。

 

 シンポジウムが始まり1時間くらいすると携帯電話に仕事の電話がかかってきてしまい,シンポジウム会場のホール外に出ると,そこには懐かしい顔があるではありませんか。真っ黒に日焼けをした父上がシンポジウムも聞かずにラウンジで休憩をしていました。父上は私に会うなり,前日ラウンドした鷹之台(カンツリー倶楽部)が難しかった,カートがなくて足が疲れてゴルフにならなかったぜ,と話してきました。すると,今度はおもむろに鞄と資料が入った紙袋を持ち上げ「おい,もう行くぞ。」と息子に帰ろうぜ,と言ってきました。私は「いやオヤジ,俺はさすがにシンポジウム委員だからもう少しいなくちゃだよ」,と言ってシンポジウム会場に戻りました。その後,シンポジウム午前の部が終わり,休憩でホール外にでるとまだ父も会場に残っていたため,シンポジウムも途中でしたが,結局受任していた事件の被疑者が勾留満期だったので父と一緒に京葉線特急で東京駅まで一緒に帰ってしまいました。

 

 シンポジウム委員なのにシンポジウム途中で帰ってしまったことを関弁連オフィシャルブログで暴露してしまったことについては,まあ,調子に乗って勘弁れん!ということで。

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