関東弁護士会連合会は,関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

スポーツジャーナリスト、ナレーター、大阪芸術大学教授
増田 明美さん

とき
2025年12月5日
ところ
都内某所
インタビュアー
会報広報委員会委員長 山浦能央

今回の「関弁連がゆく」は、元女子マラソン日本代表で、現在はスポーツジャーナリスト、ナレーター、日本パラ陸上競技連盟会長、国際NGO「プラン・インターナショナル・ジャパン」の評議員、大阪芸術大学教授と幅広い分野でご活躍中の増田明美さんです。今回のインタビューでは、現役時代のお話から「詳しすぎる解説」の裏にある取材哲学、パラスポーツへの情熱など様々なお話を伺いました。

千葉県のご出身と伺っていますが、どのようなお子さんだったのでしょうか。

増田さん 一言で言えば「お転婆」でした(笑)。実家はみかん農家で、家の後ろにみかん山があったのですが、近所の男の子たちとそこで鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたりして、遊び回っていました。

陸上競技はどういう切っ掛けで始められたのですか。

増田さん アニメ「エースをねらえ!」の岡ひろみに憧れて中学では最初にテニス部に入ったんですけど、全然上手くならなくて壁打ち練習ばかりしていました(笑)。でも中学2年生の時に町内一周駅伝大会で、テニス部から助っ人で出場することになったのですが、その大会で高校生のお兄さんを3人も抜いて優勝してしまったんです(笑)。

それは凄いですね!

増田さん 翌日の朝礼では全校生徒の前で校長先生に褒められて嬉しかったですね(笑)。それで陸上部に転向して、中学3年では800mで全国大会4位に入りました。その姿を見に来てくださっていた成田高校陸上部の瀧田詔生(つぐお)先生から勧誘していただき、本格的な競技生活が始まりました。

そこから日本記録を次々と更新されるなど輝かしい成績を残されましたが、20歳で出場されたロス五輪(1984年)の女子マラソンでは途中棄権という辛いご経験もされました。

増田さん 自業自得です。でも当時の日本は、五輪で期待に応えられなかった選手に対して厳しかったですね。帰国した成田空港で通りすがりの人に「非国民」と指を差され、20歳そこそこでしたから本当にショックでした。人の目が怖くて外に出られなくなって、買い物にも行けなくなってしまいました。

そこからどういう切っ掛けで立ち直られたのでしょうか。

増田さん 千葉の実家に全国から沢山の激励のお手紙が届いて、皆さんからの温かいお手紙に励まされました。特に印象に残っているのが1枚の葉書に「明るさ求めて暗さ見ず」と書いてくださった方です。その文字が大きくて笑っているように見えたんですね。その言葉を見て「私って名前に『明るい』ってついてるじゃない」って気付いたんです(笑)。 美しくは無理でも、折角「明るくいて欲しい」という両親の願いも込められているのだから、前をむかなきゃ!てね。葉書を見て涙がこぼれました。

増田さんの現在の多才な活動には他者への「優しさ」や「寄り添う心」といった共通点があるように感じています。特に私自身「人生案内」(※1)のファンで増田さんの思いやりのある温かい回答に励まされました。その原点にはロス五輪でのご経験があるのでしょうか。
(※1) 読売新聞朝刊生活面で連載中の人生相談の記事

増田さん ありがとうございます。そうですね、人生の中で一番苦しかった時に、励ましていただいたのは本当に嬉しかったです。救われましたから、今度は私が元気のない人を励ます人間になりたいと思うようになりましたね。

さて現在はマラソンの名解説者としてもご活躍で「詳し過ぎる解説」と言われる程情報量が凄いですが、例えばパリ五輪(2024年)の女子マラソンの解説ではどのくらい取材されたのですか。

増田さん 日本人選手だとお母さんや監督さんにも会って取材します。パリ五輪では特にライバルになるアフリカの選手の子供時代のことを調べたいと思っても、あまり情報がなく、夫にも手伝ってもらいネットで「ケニア新聞」とか「エチオピアジャーナル」を読みました。もう目がショボショボになるくらいまで調べましたね(笑)。

凄いですね!そこまで深く選手のことを取材されるのはどうしてでしょうか。

増田さん 選手である前に人間ですから。「一人の人間として伝えたい」という思いはあります。速い遅いはテレビを見ていれば分かりますが、「なぜこういうレースができるのか」という背景には、育った環境や乗り越えてきたものがあると思うのです。座右の銘なども聞いて、その人の人生を伝えたいと思っています。根底は私、「人」が好きなのだと思います。だから根掘り葉掘り聞いちゃうんです(笑)。

解説の様子

増田さんの解説では本当に選手への愛情が伝わってきます。さてこれまでの解説された中で印象に残っているレースを教えて頂けますか。

増田さん やっぱり高橋尚子さんが金メダルを取ったシドニー五輪(2000年)ですね。ワクワクしながら解説していました。実況の森下桂吉アナウンサーから「僕はレースが面白くなったら黙るからよろしくね」って事前に言われていたんですけど、そしたら高橋さんがサングラスを投げてスパートした時に、本当に森下さんが黙っちゃったんですよ(笑)。 でもそのお蔭で落ち着いてレースを見ることができました。金メダリストのレースを解説できるのは本当に名誉なことなので、とても印象に残っています。

さて解説だけでなく、NHKの朝の連ドラ「ひよっこ」でのナレーションを務めるなど、ナレーターとしても存在感を発揮されています。まずナレーションをするようになった切っ掛けは何でしょうか。

増田さん 俳優の遠藤憲一さんからオファーいただいたのが一番初めですね。時代劇のナレーションだったのですが、なぜか私にお願いしたいと言っていただいたんです。今見ると棒読みで恥ずかしいですけどね(笑)。

それだけ増田さんの声に魅力があるんだと思います。解説とナレーションでは「声で伝える」という共通点がありますが、やはり勝手が違うものでしょうか。

増田さん 奥が深くて全く違いますね。朝ドラの「カーネーション」で主役を務めた、俳優の尾野真千子さんが「虎に翼」の語りをされたんですね。それはもう、演じている感じで素晴らしかったです!語り、ナレーションは、心に寄り添う気持ちがすごく大事なのだと思いました。私は元気なナレーションは出来ても、心の琴線に触れるような深いナレーションはまだまだ無理ですね。(笑)

ナレーションの様子

とんでもないです、「ひよっこ」でのナレーションも素晴らしかったです。ところで、どういう経緯で「ひよっこ」ナレーションを務められることになったのですか。

増田さん 「ひよっこ」のオファーをいただいたのは、脚本家の岡田惠和さんと番組審議会でご一緒したのがきっかけでした。番組の感想を話す時の視点が似ていたり、私の声やコメントを面白いと思ってくださったりしたようで、主演の有村架純さんと、語りの私だけは指名だったと伺って、本当に光栄に思いました。

さて、そのような表現者としてのご活躍以外にも、増田さんは、国際NGO「プラン・インターナショナル・ジャパン」の評議員を務められて、特に途上国の子どもたちや女性への支援に力を入れられています。これまでの活動で印象に残っていることを教えていただけますか。

増田さん ラオスやトーゴ、ベトナムなどの色々な村に行きました。ラオスに行った時は、子供たちと打ち解けようと思って、最初にラオスでも流行っている日本のアニメの話をしたんですが、怪訝そうな顔をして全然笑ってくれなかったんです。そこで丘がみえたので、「あそこまで一緒に走ろうか?」と言って走り出したら、全員が笑顔になりました。お話をする前に、共に汗をかくことの大切さを教わった感じです。それから他の国に行っても先ずは、一緒に汗をかいています。

ラオスで子供たちと走る増田さん
撮影:鬼室 黎 提供:プラン・インターナショナル・ジャパン

それは素晴らしいご経験ですね。

増田さん トーゴでは「プラン・インターナショナル・トーゴ」が、現地で女子サッカーチームを20チーム作ったので、その取材に行きました。トーゴは男尊女卑の傾向が強い地域で、最初は村の長老や家族も女性が肌を見せてサッカーすることに反対していたそうなんですが、女性チームが強くなって隣村に勝つようになると、男性たちが大騒ぎして応援するようになったんです。私が行った時も親善試合をしてくれて、400人位の観客が来たのですがほとんどは男性でした。サッカーを通じて女性たちの自己肯定感が高まって、声の小さかった女子が大きな声で話すようになったり、将来「サッカー選手になりたい」、「総理大臣になりたい」って夢を語るようになったり。そんな姿を見て、スポーツが持っている力は大きいなと改めて感じましたね。

そのお話も素晴らしいですね。さてスポーツの力というと増田さんは、2018年から日本パラ陸上競技連盟の会長に就任されて、精力的に活動されています。まずパラスポーツの魅力はなんでしょうか。

増田さん パラリンピックの父と言われるグットマン博士の言葉に「失われたものを数えるな。残されたものを最大限生かせ」というのがあるのですが、選手はそれを実践していて、例えば「足がないからできない」ではなく、「残された身体機能をどう使えば最高のパフォーマンスができるのか」ということを常に考えて、工夫して、挑戦しています。人間にはこんなにも可能性があるんだという事に気づかされて、勇気を貰えますね。本当に技術面も素晴らしいので、選手の体の動かし方も是非見て欲しいですね。それから視覚障害者のランナーには伴走者が付いて、一緒に走るのですが100メートルなどは横からみると、シンクロしてほんとうに息がぴったり。そんな心の繋がりにも魅力を感じます。

2024年に神戸で開催された世界パラ陸上競技選手権大会は非常に大きなイベントだったと思うのですが、振り返られていかがですか。

増田さん 本当に「チーム神戸」の力が凄くて大成功でしたね。9日間で約3万人の子供たちが観戦に来て応援してくれましたが、世界トップアスリートの競技に触れた子供たちは良かったですね。競技場の中に多様性がありましたからね。また選手たちも子供たちの大応援に張り切っちゃって、「子供たちの声に力をもらった」と喜んでいました。お互いに素晴らしい影響があったと思います。

さて、増田さんが体育大学ではなくて、大阪芸術大学という芸術家を養成する大学で教授を務めていると伺って驚いたのですが、どういう切っ掛けで就任されたのでしょうか。

増田さん シドニー五輪の後に大阪芸大の塚本理事長さんから「芸術とスポーツは接点があるから一緒に勉強しませんか」って誘っていただいたのがきっかけです。お誘いいただいてとても嬉しかったです。大学では座学で「スポーツと健康」について教えています。

学生にはどういうことを伝えていきたいですか。

増田さん スポーツの価値を、医療性、教育性、芸術性、コミュニケーション性という4つの視点からまず伝えるんですけど、一番伝えたいのはやっぱり人生は楽しいからワクワクして生きようってことですね。誰もが自分という人生の長距離ランナーですからね。良い景色を数えながら、クオリティーオブライフを高めてね(笑)。学生たちが「元気な大人はいいな」って思ってくれるように、私も楽しくいようと心掛けています。

本当に多才なご活動をされているのですが、昨年60歳という一つの節目を迎えられました。今後どのような活動をされたいですか。

増田さん やっぱりロスパラリンピック(2028年)に向けて、選手が最大の力を発揮できるようにパラ陸上の環境をより良くしていきたいです。「挑め未来!」というスローガンを掲げているのですが、スタッフ一丸となって選手を応援します。東京やパリ・パラリンピックでは金メダルが0だったのですが、2025年にインドで開催された世界パラ陸上では4つも金メダルを獲得しました。この流れでロスでは金メダルを狙いたいです。またナレーションの仕事が楽しいので、もっと感性を磨きながらがんばっていきたいと思います。今は足を骨折してもいいから喉は大事にしたいと思っています(笑)。また同じ声の仕事でいうとTBSラジオで「増田明美 健やかリーダーズ」という番組が始まりましたのでそちらも頑張っていきたいですね。

インドのニューデリーで行われた世界パラ陸上選手権にて

今後のご活躍を楽しみにしております。さて最後に弁護士に対して期待されることは何でしょうか。

増田さん 弁護士さんは、困っている方の「伴走者」ですね。いつもありがとうございます。視覚障害のマラソン選手は、目が見えないので不安ですが、一緒に走る伴走者が「ここに段差がありますよ」とか「左側に綺麗なバラが咲いていますよ」と声をかけることで安心して走ることができるんです。法律のことは一般の人には分かりませんから、これからも弁護士さんがしっかりとしたリズムでリードして、時には景色を伝えるように状況を説明して、ゴールまで連れて行ってあげる、そんな優しくて頼もしい「伴走者」でいてくれたら嬉しいです。

素晴らしいお言葉ありがとうございます。私もそのような弁護士になれるように頑張りたいと思います。本日はお忙しいところ貴重なお話をありがとうございました。

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