関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

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平成25年 声明

東京電力株式会社の福島第一原子力発電所事故による損害賠償請求権の消滅時効に関する理事長声明

第1 声明の趣旨

  1.  当連合会は,国に対し,平成23年3月に発生した東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故(以下「本件事故」という。)による損害賠償請求権について,本件事故の被害者を完全救済するため,民法上の消滅時効(民法第724条前段)及び除斥期間(民法第724条後段)の規定を適用しないことを内容とする特別措置法を速やかに制定することを求める。
  2.  当連合会は,東京電力株式会社に対し,国が前項の特別措置法を制定するまでの間,本件事故による損害賠償請求権について,本件事故の被害者を完全救済するため,既に経過した期間の時効の利益を速やかに放棄することを強く求める。

第2 声明の理由

  1. 本件事故の被害者の現状と民法第724条適用の不当性
    1. (1) 本件事故による損害賠償請求権について,民法第724条前段の消滅時効が適用されると,「被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から3年間」の消滅時効により,平成26年3月以降に本件事故による損害賠償請求権が消滅する可能性がある。
       しかし,本件事故は,福島県内のみならず極めて多くの地域に深刻な被害を及ぼし,避難指示等に係る福島県民の避難者だけでも約9万8000人(平成22年国勢調査速報等をもとに内閣府原子力被災者生活支援チームにて推計)に及ぶと推計されているが,福島県内外のいわゆる自主的避難者や福島県内外の放射能汚染等による被害者も含めれば,避難者,被害者の数も正確に把握されていないのが現状である。
       そして,本件事故の被害者は,避難により今までの生活基盤を奪われ,それぞれの避難先で展望の見えない生活を強いられ,また,それぞれの立場や状況ごとに異なる類型化できない悩みを抱えながら不安定な生活を送っている。このような状況の中で,本件事故の多くの被害者にとって,損害項目や損害額を整理した上で損害賠償請求に踏み切ることは極めて困難であり,ことに,高齢者や障害者にとって損害賠償請求に踏み切ることは不可能にも近い。
       本件事故の被害者がこのような現状にあるにもかかわらず,本件事 故による損害賠償請求権について,民法第724条前段の消滅時効を適用して3年間の消滅時効により平成26年3月以降に消滅する可能性を認めることは,本件事故の被害者を切り捨てるものであり,何としても阻止しなければならない。
    2. (2) また,民法第724条後段の除斥期間が適用されると,「不法行為の時から20年」を経過にしたときに,本件事故による損害賠償請求権が消滅する。
       しかし,原発事故に起因する健康被害は,いつの時点でどのように発生するかについては,一致した科学的な知見も確立しておらず,チェルノブイリ原発事故発生後25年が経過しても新たな被害が発生し続けている事実が報告されている(ウクライナ政府緊急事態省「チェルノブイリ事故後25年」)。こうした健康被害は,原発事故から長期間経過した後に発症することも十分に考えられ,本件事故による損害賠償請求権について除斥期間が適用されてしまうと,本件事故から20年経過後に発生する被害は賠償されないことにもなり,このような事態は何としても阻止しなければならない。
  2. 国に求める事項
    1. (1) 第183回通常国会において,「東日本大震災に係る原子力損害賠償紛争についての原子力損害賠償紛争審査会による和解仲介手続の利用に係る時効の中断の特例に関する法律」(以下「本件特例法」という。)が成立した。本件特例法によれば,原子力損害賠償紛争審査会(以下「紛争解決センター」という。)への申立てに時効中断の効力を認め,紛争解決センターが和解の仲介を打ち切り和解が成立しなかった場合でも,打ち切りの通知を受けた日から1か月以内に裁判所に訴訟を提起すれば,紛争解決センターへの申立て時に訴訟を提起したものとみなされ,時効が中断することになる。
    2. (2) しかし,本件特例法では,紛争解決センターに和解仲介を申し立てた非常に限られた被害者だけしか救済されないものであり,本件事故の被害者を完全救済することにはならない。殊に,紛争解決センターで和解仲介を申し立てた被害者は,平成25年7月12日時点で7090件(紛争解決センターによる報告)に過ぎず,多くの被害者が和解仲介を申立てていないのが現状である。
       また,紛争解決センターでの和解仲介を申し立てた被害者にとっても,打切りの通知を受けた日から1か月以内に,証拠を整理し詳細かつ具体的に損害額を算定して訴訟を提起することは非常に困難な作業であり,本件特例法の定めは,本件事故の被害者救済手段として機能することを期待し難い。
       殊に,本件特例法案を可決した際の参議院文教科学委員会の附帯決議において,政府及び関係者に対し,「東京電力福島第一原子力発電所事故の被害の特性に鑑み,東日本大震災に係る原子力損害の賠償請求権については,全ての被害者が十分な期間にわたり賠償請求権の行使が可能となるよう,平成25年度中に短期消滅時効・除斥期間に関して法的措置の検討を含む必要な措置を講じること」が求められているものであり,民法第724条の消滅時効及び除斥期間の規定を適用しないことを内容とする特別措置法を速やかに制定しなければならない。
  3. 東京電力株式会社に求める事項
    1. (1) 東京電力株式会社は,平成25年2月4日付け「原子力損害賠償債権の消滅時効に関する弊社の考え方について」において,「弊社は時効援用の利益をあらかじめ放棄することができないとされていることも考慮しつつ,弊社として最大限可能な対応策を検討してまいりました」とした上で,次の2点を表明した。
      1. ① 消滅時効の起算点は,本件事故が発生した時点ではなく,被害者が東京電力株式会社に損害賠償をすることが事実上可能となった時点,すなわち,東京電力株式会社の「損害賠償請求の受付開始」の各時点であること。
      2. ② 東京電力株式会社は被害者に対し,請求を促す各種のダイレクトメール等を送付しており,これらを送付することは民法上の消滅時効の中断事由である「債務の承認」に該当すること。
    2. (2) 平成25年2月4日付け東京電力株式会社の考え方の問題点
      1. ① 確かに,民法第146条は,時効援用の利益はあらかじめ放棄することができないと規定している。その理由については,永続した事実状態を尊重しようとする時効制度の目的が,個人の意思によって,あらかじめ排斥されることになって不当であるだけでなく,債権者が債務者の窮状に乗じてあらかじめ消滅時効の利益を放棄させては甚だしい不都合を生じることになるためと説明されている。
         しかし,消滅期間の進行中の時効利益の放棄は,既に経過した期間の放棄として有効であると解されている(通説。我妻榮・新訂民法総則453頁,注釈民法(5)55頁)。この場合には,既に経過した期間だけの利益の放棄を認めるものであって,あらかじめ時効制度を排斥することにはならないこと,また,これを認めても甚だしい不都合を生じないことが理由とされる。
         したがって,東京電力株式会社は,既に経過した期間については時効の利益を放棄することができるのであり,東京電力株式会社が「最大限可能な対応策を検討」するのであれば,本件事故の被害者を完全救済するため,既に経過した期間の時効の利益を速やかに放棄すべきである。
      2. ② 東京電力株式会社は,各種のダイレクトメール等を送付したことを民法上の消滅時効の中断事由である「債務の承認」に該当するとしている。
         ところで,本件事故の損害賠償請求において,被害者が請求する損害項目や損害額と東京電力株式会社が認める損害項目や損害額との間には,多くの事例で大きな差異がある。そして,損害項目や損害額に争いがある場合における「債務の承認」は,それらに争いがない範囲内でしか効力を生じないものであるから(一部弁済による「債務の承認」に関する判例・東京高判昭40・11・29,判時439・110頁),結局,東京電力株式会社が認めない損害額等については,消滅時効の中断が生じないことになる。
         したがって,ダイレクトメールの送付等が「債務の承認」に該当すると解釈しても,本件事故の被害者救済には全くといっていいほど機能しないことが明らかである。
    3. (3) 東京電力株式会社は,平成25年6月25日付け「原子力損害賠償債権の消滅時効に関する弊社の具体的な対応について」において,「弊社は,福島第一原子力発電所における事故により広範で深刻な被害が生じたことに鑑み,被害者の方々が消滅時効の制度により請求を妨げられることがないよう対策を講じることとしており」とした上で,時効完成後の協議については,「協議期間の終了後,合理的な期間は,弊社は,時効は完成しないものとして扱います」と表明した。
    4. (4) 平成25年6月25日付け東京電力株式会社の具体的な対応の問題点
       東京電力株式会社は,「被害者の方々が消滅時効の制度により請求を妨げられることがないように対策を講じる」と言いながら,結局のところ,本件事故による損害賠償請求権について消滅時効を主張することを予定しているものである。すなわち,「協議期間の終了後,合理的な期間は,時効は完成しないものとして扱う」ということは,とりもなおさず,合理的な期間を経過したときは時効が完成して損害賠償請求権が消滅するということを意味するものであり,本件事故の被害者へ完全な賠償を行おうという真摯な考えは持っていないと言わざるを得ない。
       本件事故の被害者は,前述のとおり,今までの生活基盤を奪われ,それぞれの避難先で展望の見えない生活を強いられ,また,それぞれの立場や状況ごとに異なる類型化できない悩みを抱えながら不安定な生活を送っている。東京電力株式会社のかかる対応方針は,このような状況の中にある,本件事故の被害者に対し,合理的な期間経過後の消滅時効を理由として損害賠償請求権を否定しようとするものであり,本件事故の被害者を切り捨てるものに他ならず,厳しく批判されなくてはならない。
  4.  以上検討してきたとおり,本件事故による損害賠償請求権について,民法第724条の消滅時効及び除斥期間の規定を適用することは,本件事故の被害者を切り捨てるものであり,何としても阻止しなければならない。
     したがって,当連合会は国に対し,本件事故による損害賠償請求権について,民法第724条の消滅時効及び除斥期間の規定を適用しないことを内容とする特別措置法を速やかに制定することを求めるものである。
     また,東京電力株式会社は,「被害者の方々が消滅時効の制度により請求を妨げられることがないように対策を講じる」と表明しながら,民法第146条が時効の利益はあらかじめ放棄することができないと規定していることを奇貨として,時効の利益を放棄せず,本件事故による損害賠償請求権について消滅時効を主張しようとしているものであり,本件事故の被害者を救済しようという真摯な考えなど有していないと言わざるを得ない。
     したがって,当連合会は東京電力株式会社に対し,国が特別措置法を制定するまでの間,本件事故による損害賠償請求権について,既に経過した期間の時効の利益を速やかに放棄することを強く求めるものである。

2013年(平成25年)8月30日
関東弁護士会連合会
理事長 栃木 敏明

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