関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

熊本県知事
蒲島 郁夫さん
くまモン

とき
平成29年1月17日
ところ
熊本県庁
インタビュアー
会報広報委員会委員 西岡 毅

 今月号の「関弁連がゆく」は,熊本県知事の蒲島郁夫さんとくまモンです。
 蒲島さんは,農協勤務を経て,アメリカのネブラスカ大学とハーバード大学大学院で学ばれ,その後,筑波大学と東京大学の教授を経て,熊本県知事になられたというユニークな経歴をお持ちです。
 現在,熊本県知事の三期目をお務めの蒲島さんに,ご経歴,知事としてのお考え,熊本地震への対応,くまモン等についてお話を伺ってまいりました。

知事のご経歴,知事を目指されたきっかけを教えてください。

蒲島さん 私の経歴は,全国の知事の中でもユニークなのではないでしょうか。
まず熊本の小さな県立高校に通いました。その頃,私には3つの夢がありました。1つ目は阿蘇山の麓で牧場を経営したい。2つ目は小説家になりたい。3つ目は政治家になりたい。これは古代ギリシャの哲学者プルタークの「英雄伝」という本で描かれているカエサルのような政治家になりたいと思ったからです。
高校卒業後は,地元の稲田村農協というところに勤めました。21歳のときに,牧場経営の夢をかなえるため,農業研修生としてアメリカに2年間行きました。その終盤,ネブラスカ大学農学部の学科研修で3ヶ月間勉強したとき,「もっとここで勉強したい」と思うようになりました。それで,23歳で一度帰国しましたが,24歳で再びアメリカに戻り,ネブラスカ大学の農学部に入学しました。

一つ目の夢である牧場主への道ですね。

蒲島さん はい。28歳で卒業を迎えるときには,指導教授に大学に残らないかと声をかけていただきました。ですが,どうせ勉強するなら,「政治家になりたい」という夢を実現するため,政治学を勉強したいと考えるようになり,政治学で有名なハーバード大学大学院の博士コースに入ることができました。そこで3年と9ヶ月間過ごした後,政治学を教えるためにまた日本に帰ってきました。

三つ目の夢であった政治家への道への転換ですね。

蒲島さん 本来は,政治学を勉強することと,政治家になることはあまり関係ないですよね。でも,いつか世の中のために生かしたいということで政治学を勉強しました。それで,33歳のときに筑波大学の講師になって,それから17年間,講師,助教授,教授として政治学を教えてきたんです。50歳のときに東京大学から誘われて,法学部教授として11年間教えていました。すると,61歳のときに熊本県知事選挙に出ませんかという話がありました。

東大の教授を辞めてということですね。

蒲島さん 私にとっては人生最大のチャレンジでした。周りは反対しましたが,「政治家になりたい」という夢を実現するため出馬を決めました。対立候補は4人で,投票まであと2ヶ月というときに出馬表明したものですから,あまり政治活動の時間はありませんでした。ただ,私は選挙の理論の研究家です。その研究が実践で役に立ち,私が全投票のうち約半分の得票という結果で圧勝することができました。

蒲島知事の政治家としての目的は何になるのでしょうか。

蒲島さん 私が最終的に目指すのは,一言で言えば「県民の総幸福量の最大化」です。総幸福量を高めるには,4つの要因があると思っています。1つ目は「経済的な豊かさ」。2つ目は「プライド(誇り)」。そして3つ目は「安全・安心」。4つ目は「夢」です。この4つの要因を最大化することによって総幸福量が最大化するという考えでやっています。この方程式は常に頭にあります。

災害への対応も同じでしょうか。

蒲島さん はい,知事としての考え方は一貫しています。昨年は,4月の熊本地震,6月の集中豪雨,10月の阿蘇中岳の爆発的噴火,12月の鳥インフルエンザなど,相次いで災害に見舞われましたが,そのときも常にこの方程式の中に入れて,どうしたら県民の総幸福量が増大するかを考えながらやっています。

今お話に出た,昨年4月の熊本地震についてお聞かせください。私は東京に住んでいまして,ニュース速報で「熊本 震度7」というのを見て,まず信じられないと。私は約18年熊本市で生活しましたが,地震の記憶なんてないんです。慌てて熊本の実家や両親の携帯電話に電話するんですけど繋がらないんですね。それでどうやら地震は本当だということが分かってきて,大変驚きました。

蒲島さん 多くの熊本県民は,熊本で地震があるとは思っていなかったでしょう。それもこんなに巨大な地震が来るとは。4月14日に発生した前震のとき,住まいである知事公邸から県庁まで走っていきました。まずは人命救助,水・食糧の確保が急務ですが,その日のうちに対応できたと思ったんです。
ところが,2日後の16日に本震が発生し,その結果,最大で約18万人もの県民が避難することになりました。これは熊本県の人口の1割です。人命救助,水・食糧の確保に加えて,避難所運営など様々なフェーズに対応していくことになりました。
熊本地震の特徴は2つあります。1つ目は阪神・淡路大震災級の地震が短期間に2回来たこと,2つ目は余震が4200回以上続き,終わりがなかなか見えなかったことです。それに対して私は「復旧・復興の三原則」で対応しようと考えました。第1が「被災者の痛みの最小化」。第2は,単に元に戻すだけでない「創造的復興」を目指す。「創造的復興」は,英語ではBuild Back Betterといいます。第3は,その創造的復興を「熊本の更なる発展につなげる」。この三原則をもとに昨年8月3日,「復旧・復興プラン」を策定しました。その後,国からも強力な財政支援が得られたのではないかなと思っています。

次のプランはどのようにお考えでしょうか。

蒲島さん 今年は,復興元年として「4つの創造」に向けて進んでいます。1番目が「すまいの創造」です。熊本地震の対応は避難所の確保から,避難所の快適さの追及,そして仮設住宅の整備などフェーズが次々と変わります。更に,仮設住宅の次には本格的な住まいが必要です。
2番目は,「産業の創造」。被災者の生活再建は,すまいの再建だけでなく経済の再生も重要です。この点は,早く対応できたと思っています。「グループ補助金」の活用や,復興景気もあって,失業者が少なかったことは大きかったですね。
3番目は「資産の創造」。阿蘇へのアクセスの早期復旧や,熊本城や阿蘇神社など熊本が誇る文化財の復旧です。
4番目は,「世界とつながる熊本の創造」。そのためには空港や港の整備が必要ですが,阿蘇くまもと空港は「コンセッション方式」により設計の段階から,民間のアイデアと資金を導入し,整備していきます。また,八代港においてクルーズ船寄港年間70回以上を目指しています。将来的には200回以上を実現したいです。さらに,インドネシアのバリ州や台湾・高雄市との友好条約の締結。2019年にはラグビーワールドカップや世界女子ハンドボール選手権大会も開催されます。こういった様々な形で世界とつながります。

熊本県が,九州という枠,さらに日本という枠を超えて世界へつながるというのは,素晴らしいですね。

蒲島さん 人口減少社会ですから,海外のバイタリティーとエネルギーを呼び込むこともとても大事ですよね。私の場合は,海外に長くいたので通訳がいなくても交渉はできるし,友人もたくさんいます。
私は,知事の1期目,2期目では「アジアとつながる」と言っていましたが,3期目の今は「世界とつながる」と言っています。実は,そのときに世界を拓く外交官として,くまモンの力は非常に大きいのです。

県がキャラクターを通して,日本を超えて世界に向けて発信していくというのは,独特の手法ですね。

蒲島さん 例えば,ハーバード大学や北京大学にくまモンを連れて行き,くまモンの政治経済学という講演をして,学生達を魅了してきました。つい最近では,震災対応のお礼で中国大使を訪問したほか,同じ日にアメリカ大使館を訪問し,ケネディ大使と一緒に踊ったのです。

まさに外交官ですね。くまモンは,海外の製品ともコラボレーションされていますね。

蒲島さん 例えば,テディベアを作っているドイツのシュタイフ社です。シュタイフ社製のくまモンを作って一体3万円で売り出したところ,1500体が数秒で売り切れたそうです。そこで,シュタイフ社は,世界で1つという高さ85cmもある特大テディベア・くまモンを作製され,本県に寄贈してくださいました。今,「くまモンスクエア」というところに置いてあります。
それから,BMWのminiオックスフォード工場を訪問したことで,miniとのコラボレーションも実現しました。オックスフォードminiは5億円の宣伝効果があったということで,そのうちの1億円を熊本県のために使いましょうと言ってくれました。
このように海外の企業がくまモンを活用してくれています。我々は,くまモンのライセンス料を取りません。くまモンを使って企業も利益を出すけれども,くまモンを知ってもらうことで熊本県も有名になるというWin-Winの関係になるのです。

Win-Winの関係がそんなにうまくいったんですね。

蒲島さん コモンズ(*共有地のイメージ)の理論では無料にしてしまうと食い尽くされてしまうことも多いのですが,くまモンの場合はそれがないんですね。通常,共有空間とは道路や橋や広場をさしますが,我々はくまモンという共有空間を作り,その中にシュタイフ社もminiも入ってきてくれました。国内では,ホンダも,モンキーのくまモンバージョンを作成してくださいました。さらに昨年は,くまモンが熊本地震の復興のシンボルとして注目された年でした。

当初,くまモンの広報戦略というのはどのようなものだったのでしょうか。

蒲島さん 写真2013年の3月に九州新幹線が全線開業して,一番我々が恐れたのは,熊本が素通りされるのではないかということでした。人の流れが終着駅の鹿児島まで行ってしまうのではないか,福岡に吸い取られてしまうのではないか。
それで,いかにして熊本に止まっていただくかということを放送作家の小山薫堂さんに相談し,小山さんたちのアイデアで熊本サプライズ運動というのを始めました。そして,みんなが驚くような熊本の良さを感じてもらおうということで,小山さんが友人のクリエイティブディレクターの水野学さんにお願いして,「!」を使ったサプライズ運動をすることになりました。ただ,それだけではインパクトが弱いだろうということで,おまけで付けてくれたのがくまモンだったのです。それが今や爆発的に有名になったわけです。

キャラクター使用料を無料にするという戦略はどうやって出てきたんですか。

蒲島さん いわゆる「楽市楽座」の発想です。その結果,例えば,一昨年のくまモン関連商品の売上げは何と1007億円なんです。
(ここで,くまモンが登場。)

写真

おお,動きが軽やかなんですね!感動しました。和みますね(笑)。くまモンのイラストや動画は拝見してましたけど,お会いしたのは初めてでして,一気にこっちがニコニコしてしまいますね。

蒲島さん 魅力的でしょう(笑)。それに,言葉を喋らないからインターナショナルなんです。日本語を喋ったらインターナショナルじゃないけど,世界中どこへ行ってもジェスチャーのみなんです。言葉を喋らないことがインターナショナルというのはおもしろいでしょう。

世界進出に障害がないんですね。

蒲島さん 去年の民間会社の好感度調査では全国1位ですから,そのうち世界1位になるのは確かでしょう(笑)。
くまモンは県民の誇り,いや,今はもう日本中の誇りかもしれません。私がユニークな経歴で知事になって,最も成功した政策は,くまモンの共有空間を作ったことかなと思います。
このくまモンの共有空間というのは理想の空間なんです。誰でも参加できる。年齢も国籍も関係ない。地球の裏からでも入れる。そして自由で無料。みんなが幸せになって利益を得る。
実は,くまモンは,最初にお話しした「県民総幸福量の最大化」の4つの要因をすべて満たしているのです。くまモンによって,経済的豊かさが高まっていって,県民に誇りも出てくる。くまモンによって,子どもたちの安全安心を高める,そして夢を高める。そして,今は熊本県の震災の復興のシンボルとして頑張ってくれています。

こうやってくまモンにお会いして,これだけ場を和ませる力はすごいですね。法廷にもいてくれるとリラックスできそうですね。裁判官の横にいて頂いて(笑)。

蒲島さん くまモンは弁護士になりたいんだよね(笑)。

くまモン (うなづく。)

是非,弁護士会の名誉会員になってください(笑)。本日はありがとうございました。

PAGE TOP