関東弁護士会連合会は,関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

小説家,弁護士,教授
赤神諒さん

とき
平成30年2月6日
ところ
上智大学
インタビュアー
会報広報委員会委員 西岡毅

今月号の「関弁連がゆく」は,赤神諒こと越智敏裕さんです。越智さんは,弁護士登録後,環境訴訟,行政訴訟を主に手がけられてきましたが,その後,上智大学で教鞭をとりながら小説を執筆され,今回,日経小説大賞を受賞して,小説家としてもデビューされたというユニークな経歴をお持ちです。二足のワラジならぬ三足のワラジを履く越智さんに,法律家と小説家と教授職のそれぞれについて聞いてまいりました。

まず略歴を教えてください。

赤神さん 京都で生まれてすぐに東京に来て,5年ぐらい過ごしました。その後は京都に戻って学生時代を過ごし,同志社大学3年の時に司法試験に合格して,卒業後の司法修習まで京都にいました。修習後,弁護士登録のときに「東京で5年修行してくる」と言って上京して,そのまま東京です。人生,もっと計画的に生きるべきですね。

大学は法学部ですか。

赤神さん 文学部の英文学科でした。祖父が英文学者で,本がもったいないからと,家族から英文学者になるように言われて育ちました。3歳の時からマクベスの演劇とか見せられて,刷り込まれていたんですね。

子どものころから小説がお好きだったんですか。

赤神さん そうですね。今から思い返すと幼稚園の頃から何か書いていました。中学までにシェイクスピア全集を全て読みましたし,ロシア文学も結構好きで,中高時代に,家にあったドストエフスキーとチェーホフの全集は全部読みましたね。世界文学全集もあらかた読みました。他方,現代物はあまり読みませんでしたが。

文学部から弁護士に転身されたのはどういう経緯ですか。

赤神さん 転身というか,無計画に生きてきただけなんですけど(笑)。困っている日本社会に背を向けて,極東の島国で400年前に書かれたシェイクスピアを楽しむ人生だけでいいのかという思いもあり,大学受験もしていなくて力試しもしたかったし,現実も見たいと。もう一つ言うと,僕は政治家にも関心があったので,法律を知らないとだめだと思って。司法試験を受験したら受かったので,しばらく法律の勉強を続けようと思い,そのままずるずると。

弁護士として環境法を手がけられたきっかけというのは。

赤神さん 環境問題は高校時代から関心があったんですが,弁護士2年目のときに環境法の師匠に会いまして,翌年,大学院に入り直しました。その後,アメリカの大学に留学して環境法をやって,戻ってきたのが2001年でした。シンクタンクに内定し,弁護士をやめてアジアの環境問題をやろうと思っていたんですが,ちょうど司法改革の時期で行政事件訴訟法の改正を40年ぶりにやるという話で,日弁連の嘱託にお誘いいただき,結論としてそちらを選びました。以来,地球環境問題からは遠ざかって,ドメスティックに国内法をやってきたという感じです。

大学教員への転身はどのような事情ですか。

赤神さん 僕はもともと所属事務所の関係で行政側の代理人をしていましたが,自分の事件としては環境訴訟,行政訴訟の原告側を担当しました。一般に行政事件の勝訴率は1割ぐらいで,僕は一生懸命頑張って3割ぐらいは勝ったと思うんですけど,負けが込むときつくなってきて,僕もいつまでも若いわけじゃないしと思って。上智大学の法科大学院の実務家になって,弁護士も普通にやっていたんですけど,段々,研究者教員の比重が増えて,その後,学部の研究者教員になりました。去年,法科大学院にトレードされて,今は,ロースクールの立て直しをやらされています。

今,ロースクールはどういう状況でしょうか。

赤神さん 僕は楽観的なので,もしかしたら,夜明けがくるかもしれないと思っています。一番大きいのは,適性試験の廃止です。これまでは,ロースクールに行こうとしたら,前もって5月に適性試験を受けておかないといけなかったんですが,それがなくなります。

話を戻しまして,大学教員になられて,いざ小説を書き始めたきっかけは何ですか。

赤神さん うちの学部は,教員の弁護士活動には厳しくて,教授会の許可を得る必要があって,自宅事務所にすべしという制約もあるので,学部に移ってからは弁護士の仕事を減らさざるをえませんでした。じゃあその時間に小説でも書こうかとなったんです。ちなみに,今でも弁護士として法律相談とか訴訟の後方支援とかはしています。弁護士業の割合は1割ぐらいですかね。

ご経歴が非常に新鮮でした。さて,今回,日経小説大賞を受賞されたということですが,この賞の前に既に他の文学賞にノミネートが2回あったとお聞きしました。今回の作品は3作品目ということですか。

赤神さん いえ,もっといっぱい書いています。習作を除いて,数えると長編で16本ありました。今回受賞したものを70点とすると,65点から80点ぐらいのものが10本以上あります。全部出版したいですね(笑)。

それは全て歴史ものですか。

赤神さん いえ,半分くらいです。他には現代物,外国物,ファンタジーからライトノベルまであります。ホラーと官能小説以外なら,だいたい書けると思います。

今回の作品はいつ書かれたんですか。

赤神さん 3年前です。書き上げたときは「これで受賞確実」と思った自信作ですが,ある賞に応募して落とされました。次も落とされたのですが,こんな優れた自信作なのに変だなと思って,今回同じ作品を応募したら受賞しました。賞というのは,最初から選考委員の作家が読むわけではなく,下読みさんが読んで落としたりするので,運もあるんですよね。三度目の正直で受賞できて,やっとちゃんと分かってくれたかと(笑)。

受賞したときのお気持ちはどうでしたか。

赤神さん 素直に喜びました。結構長いことかかりましたから。8年ほど賞を目指して書いていたので。

今回の作品のあらすじを教えていただけますか。

赤神さん 簡潔に言うと,戦国時代のお家騒動を巡って,重臣の兄弟がいかに生き抜いたかという話です。悲劇的要素のある史劇でしょうか。

小説のストーリーというのはどうやって考えるんですか。

赤神さん 作家によって書き方が違いますが,例えば,宮部みゆきさんみたいな人は,最初から書いていってちゃんと出来上がるそうです。この方法には二つ条件があって,一つは売れっ子作家であること,もう一つは,天才的な能力を持っていること。かたやミステリーなどで,最初に全部決めてから書く人もいるらしいんですが,僕はその中間ですね。ざっくり決めて頭から書いていきます。書いているうちにどんどん変わります。最新作はハッピーエンドと決めて書き始めたんですが,結局,悲劇になってしまいました。

執筆はいつなさるんですか。

赤神さん 毎朝,早朝ですね。僕は朝型なので,皆さんが寝ている間に書く。剣道やテニスの素振りでも同じだと思いますけど,毎日やらないと腕が落ちるし不安になるだけですので。4年前,松本清張賞の受賞を逃したときに,あれも自信作だったんで,それからは毎日書こうと。

毎朝,何時ぐらいから執筆されるんですか。

赤神さん 早ければ午前2時台,遅くても午前4時台から,家族が起きてご飯を食べる7時ぐらいまで書いています。

執筆場所はご自宅だけですか。作家はホテルや別荘に籠ると聞きますが。

赤神さん 自宅です。それは偉い人だけです。新人ごときが「何してはるの?」という話です(笑)。

書かれているときは,一つの作品だけですか。

赤神さん 時期によりますね。締め切りが迫っているときには他に手を出してられないときもありますが,基本的には複数を並行して書きます。一つだと飽きてしまうのと,次が書けるかなと不安になってしまうんですね。

1作書くのにどのくらいかかりますか。

赤神さん 最速で3か月,ちょっと時間をかけると4か月から半年かかります。構想自体は長く温めている場合もありますが。

小説の執筆の際,映像が浮かんだり音楽が頭の中で鳴ったりしますか。

赤神さん 映像も浮かびますし,音楽はまんべんなく好きなので,必ず小説のテーマ曲を決めて,それを聞きながら執筆します。

どんなジャンルの音楽ですか。

赤神さん クラシックの時もありますし,J-POPやJAZZのときもあります。今回の受賞作では,スピッツの名曲「楓」をクリス・ハートがカバーしているんですが,それがテーマ曲です。楓というヒロインが登場しますが,曲名から取りました。昔の人の女性の名前って結構大変なんですよ。文献に残ってないので。現代的過ぎてもいけないし。

登場人物の顔とかもイメージするんですか。

赤神さん それは色々なやり方があって,イメージに合う俳優さんや,特定の人を意識して書くこともありますね。

小説の舞台の現地に行くこともありますか。

赤神さん あります。やっぱり土地勘があるほうがいいので。下手なことは書けませんし,グーグルマップでもある程度わかりますが,できる限り現地に行っています。

歴史物は時代考証が大変だと思いますが,いかがでしょうか。

赤神さん 大変ですね。大変さは二つあって,まず,色んな事を調べないといけないというのが一つ。例えば,戦国時代に飲み屋があったか。従来はなかったという説が有力でしたが,最近の歴史家の本には,たとえば甲斐の甲府には「玉屋」というお店があったと書いてありました。他にも,戦国時代には温泉はあったんですけど,お風呂はないとか。あと,時代考証のもう一つの大変さは,現代人が勘違いしているけども大家が使っている言葉や事象をどうするかという点です。例えば明智光秀という人がいますが,光秀は忌み名(諱)といって,実は会話文で忌み名で呼ぶのは失礼に当たるらしいんです。したがって正確には役職名で惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)とか呼ばれていたそうです。したがって小説の会話文で「光秀」と呼ぶのは,本当はおかしいという人も多いんです。

時代考証がおかしいと,賞は取れないんでしょうか。

赤神さん 時代考証にうるさい編集者とか選考委員が読むと落とされる恐れがあるとも言われているので,そこは仕方ないなと思って悩みながらも,読者にとっての分かりやすさも大事で,そのせめぎ合いですね。

時代考証は正確なら良いという訳ではないんですね。

赤神さん 正確に書くと,読者には分かりにくいんです。例えば,「平和」という言葉は,1300年代に初めて使われた言葉なんですが,ウィキペディアには明治時代に入ってきたとか書いてありまして,それを鵜呑みにして「戦国時代に平和という言葉はないはずだ」と言われたら困るんです。でもこの前書いた最新作では,「平和」がテーマで,「平和」をどうしても使いたかったので,「平和という言葉は戦国時代から200年以上も前に使われた言葉だが」と,地の文でわざわざ説明を書きました(笑)。現代人に「安寧」とか「平安」とかいってもストレートに伝わらないので。

そういう時代考証の話は,調べるのが楽しそうでもありますね。

赤神さん 最初は楽しいけど段々疲れます。法律だってひたすら楽しいかというとそんなことないでしょう(笑)。

法律家と小説家の共通点はあるでしょうか。

赤神さん 実は似ているところがあります。法律家も,法律構成や事実関係の主張を考え,展開する場合,結論に向けて法的論拠や事実,証拠を論理的に無理のないように組み立てるはずです。証拠上よく分からなくて,本人も覚えていないときでも合理的に説明しなきゃいけない場合がありますよね。他にも,法律や契約書を作る場合だって,「通常,人間はこういう行動をするはずで,それをされたら他方はどう動くか」などと常に考えるはずです。小説家もそうで,読者が読んでいて,「普通,こんなことしないよ」と思われるような作者都合の展開だと興ざめなので,「登場人物の全ての行動を合理的に説明できるように」と考えます。もちろん,感情だけで動くキャラもいるんですけど,そのキャラの枠内で合理的な行動を取り続けなければいけない。あとは,訴状や準備書面を書くにしても,クライマックスや見せ場を気にしますが,この点は小説の構成と似通っていると感じます。根本的には言葉を使い,人を対象にする職業なので,かなり類似していると思います。僕の小説を読んでいただくと,このあたり弁護士の仕事にも役に立つかもしれません。牽強付会かも知れませんが(笑)。

法律家,必携ですね(笑)。

赤神さん はい。ぜひ各事務所に一冊。でも,逆に法律家としての素養がマイナスになることもあります。法律家は繰り返すでしょう。「換言すれば」とか,「まとめ」とか書いて。裁判所にも依頼者にも分かってもらえるように。小説も,分かりやすく伝える点は一緒なんですが,文体としてくどいのは良くないんですよ。しかも僕は教員もやっているので,説明過剰の癖が抜けないんですね。ですから,例えば700枚原稿書いたら,200枚ぐらい削ります。

推敲の時間はどれくらいかかるんですか。

赤神さん 僕の場合,執筆期間の4分の1ぐらいは推敲かもしれませんね。

パソコンでの執筆は横書きですか。

赤神さん 最初横書きで,最後にこれで文句なしという時に縦書きにして出力します。横と縦で見え方が変わるんです。必ず縦にしてプリントアウトして確認します。昔の文豪は偉大ですよね,ひたすら縦書きの手書きですから。今も大家は手書きなんですけど,僕は,文明の利器を使って,その分たくさん書かせてもらおうと思っています。

今後,どのような作品を書きたいですか。

赤神さん 人の美しい面を書きたいですね。読後感を大切にしているので,「衝撃の問題作」とか書きたくないんですよ。もちろん,人の醜さを描かないと美しさは出てこないんですけど,「人生,人間っていうのも捨てたもんじゃない」と思えるオーソドックスな作品を書きたいと思います。

本日はありがとうございました。今後の作品も楽しみにしております。

写真
PAGE TOP