関東弁護士会連合会は,関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが,このたび司法の枠にとらわれず,様々な分野で活躍される方の人となり,お考え等を伺うために,会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

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お笑い芸人
ティモンディ前田裕太さん

とき
2023年5月23日
ところ
株式会社グレープカンパニー内
インタビュアー
会報広報委員会委員長 小南あかり

 今号の「関弁連がゆく」は、ティモンディの前田裕太さんです。ティモンディは、前田さんと、「やればできる!」の言葉で日本中を応援する高岸宏行さんのコンビです。テレビ等のメディアで連日大活躍されていますので、ティモンディの明るい芸風をご覧になって笑顔になられている方も多いのではないでしょうか。
 前田さんと高岸さんは愛媛県の済美高校野球部出身で、お二人とも高い身体能力を持っていることで有名ですが、前田さんは、大学進学後は弁護士を目指して旧司法試験を受験していたという経歴もお持ちです。インタビュアーも前田さんと同じ済美高校の運動部出身のため、今回は特に親近感を抱きながら前田さんの人となりを伺ってきました。テレビ等ではなかなか見られない前田さんの一面を知っていただけたらと思います!

 前田さんが野球を始めたのはいつ頃ですか。

前田さん  小学校3年生の時ですね。地域の少年野球に行ってみたらすごく褒めてくれたので楽しくなって始めました。野球は自分に合っていたみたいで、小学生の時はなかなかすごかったです(笑)。ホームランをバンバン打って、小学生なのに調子に乗って天狗になっていました(笑)。

 中学では野球部ですか。

前田さん  中学では硬式のボールを扱うクラブチームに入りました。学校の野球部は軟式だったんですが、当時自分はプロ野球選手になると思っているので、硬式ボールでやるほうがプロに近いでしょみたいな。学校では陸上部に入って、体力つけるために練習だけ参加していました。

 クラブチームでも活躍されていた?

前田さん  チーム自体の成績はそんなに良くなかったですが、僕は関東選抜に選んでもらったりして、この頃も自分は絶対プロに行けると思っていたので、サインも練習して、みんなの卒業証書に書いてました。今考えるとぞっとします(笑)。

 それだけ自分には実力があるという実感があったということですよね。

前田さん  そうですね、当時は自分の可能性に何も疑いがなかったです。3年の時には全国の10校くらいの高校野球部からも声をかけていただきましたが、これも当然だと思うような可愛くない考えで(笑)。

 そうすると高校では当然甲子園に行く想定ですよね。

前田さん  甲子園では自分がピッチャーで春と夏で優勝して、ドラフト1位でプロに入って、メジャーに行って、みたいな想像してました。当時は自分は漫画の主人公だと思ってたんでしょうね。

 全国野球部からお誘いがあったなかで済美高校に行かれたのはどうして?

前田さん  実家がある神奈川県の強豪校からも声をかけていただいたんですが、甲子園に出るという確率を考えたときに、100校以上が予選に出場して10回くらい勝たないと甲子園に出られない神奈川県の強豪よりは、予選に出る学校数がそこまで多くなくて全国的に強いと言われている済美高校が一番甲子園に行きやすそうかなと思いました。あと親元を離れたかったというのもありましたね。

 当時の済美高校は校則も部活動も厳しかったですよね。

前田さん  練習を見に行ったら、昔の日本の良いところも悪いところもあるみたいな環境で、厳しいけどここだったら間違いなく甲子園行けるだろうなと思いました。俺が連れて行ってやるくらいにも考えてましたけど(笑)。

 あえて厳しい環境に飛び込んだんですね。高校生活はどうでしたか。

前田さん  当時の僕は歪んでいて、野球を頑張って上手ければ人として偉いみたいに思っていて、普通に学校に来て楽しそうにしている人たちは頑張ってない奴らで偉くないみたいに思ってました。俺は楽しいことを捨てて全てを野球に費やしているから、絶対成功して幸せになるんだって思って。ずっと頑張らないといけないという強迫観念みたいなのがありました。

 だいぶ意識が高い高校生ですね。高岸さんとはどんな出会いでしたか。

前田さん  寮に入った日に荷物片づけて部屋のドアを開けたら、たまたま向かいの部屋からおぼこい顔したデカい男の子が出てきて、明らかに1年だなと思って一緒にお昼食べに行こうってなったのが出会いですね。ポジション聞いたら一緒だっていうからそのままキャッチボールをしに行ったら、まあまあ上手くて。でも高岸は中学の頃は軟式で、硬式ボールはどういう風に投げるかわかんないみたいなこと言うので、それを教えてあげる関係みたいな感じでした。

 野球部は前田さんみたいに全国から呼ばれて入った子がたくさんいたんですよね。

前田さん  そうですね。高校生って全然違うんですよ。入学してすぐ先輩たちにボロボロにやられました。小手先で勝負しようとしても全然ダメで、何やってもダメで、それまでムクムク育っていた自尊心がポキッと折られました。自我を何とか保っているものとしては、1年生のなかでは自分が頭一つ出ていると思っていて、なぜならこれまでいっぱい練習したしこれからもいっぱい練習するんだって。

 前田さんは1年生と2年生の時に全国の高校野球部員を対象とした体力測定で全国1位になっていますよね。身体は誰よりも出来上がっていたのでは。

前田さん  監督が心技体じゃなくて、体心技ってずっと言ってたんですよ。まず身体を鍛えて強くすると心が自然と強くなる、自信をつけると不安が無くなって技術もついてくるんだって。だから当時は身体を鍛えすぎてる感じでした。

 練習はきつかったですか。

前田さん  きつかったです。入る学校間違えたと思いました(笑)。

 河原で大声で延々返事をするという練習もされてたんですよね。当事者じゃない私たちからすれば野球と関係ない練習だと思うから面白いエピソードとして聞けますけど、当時は疑問に思わなかった?

前田さん  何度も甲子園に行っている監督だったんで、当時は厳しい指導も含めて監督の言うことを聞いていれば甲子園に行けるんだと思っていました。甲子園に行くことを目標にした人間は通らないといけない道なんだって、腹くくってやってた感じです。河原で声出してたこととか、何の練習かわからないこともあったんですけど、やっぱり意味があったんじゃないのかなと後付けで意味を見出してます(笑)。何とか野球に繋げられるように自分で意味を見出すっていう訓練だったのかなって。野球に限らずそのマインドって必要だと思うんですよね。生きてるうえで絶対意味ないとか、仕事でも趣味でも何この時間って思うことってあるんですけど、そこで自分に必要なことができるかっていうのを考える練習だったのかな。

 高校生の時にそんなこと考えてたんですか!

前田さん  いや、意味ねぇだろとか、休みてぇとか考えてました(笑)。監督に反抗している子もいて、意外と監督はそういう子たちの面倒を見ていましたね。それはおかしいだろうって自分で考えて反発する気持ちを評価してたのかな。

 前田さんは反抗しなかった?

前田さん  僕はもう最初にポキっと折られているんで従順でした(笑)。訳分からない練習だと思っていましたが、隣見たら高岸も一生懸命やっているんで。しんどい時に人間性って出ると思うんですが、高岸も言われたことを一生懸命やる奴で、良い奴だなって。

 済美高校では残念ながら甲子園に出ることは叶いませんでしたが、プロ野球はいつまで目指していたんですか。

前田さん  大学の野球部と練習会したときに自分はプロは無理だなと思いました。全国でピックアップされた人たちが集まっていてモノが違うなと。自分より細い力のない子が簡単にホームラン打ってて、まだ伸びしろがある。僕は身体の自信はあって技術もそこそこだと思っていたのに、自分の実力を数値化したときにいくら努力してもこの子たちには太刀打ちできないと感じましたね。

 とりあえず大学で野球続けてみようとも思わなかった?

前田さん  これまでの人生で野球しかやってこなかったんで、野球を辞めるかどうかはすごく悩みました。ここで辞めて自分は納得するのかと自問自答するんですよ。その時に、プロは100%無理だけどそれでも野球やりたいかって考えて、いや、他にもやってみたいこと絶対あるなって思って。そのまま続けるという選択はしませんでしたね。

 高岸さんはプロを目指して大学に進学されてますよね。

前田さん  プロ12球団に行くって言って大学でも頑張っていましたね。

 前田さんは駒澤大学の法学部に入学されていますけど、法学部を選択されたのはどうして?

前田さん  指定校推薦で入ったんですけど、推薦枠には法学部しかなくて自分で選んだわけじゃなかったです。でも法学部入ったことは僕にとって良かったです。法学ってみんな大学入ってからスタートするので、高校生の時にほとんど勉強していなかった僕にとっては、みんなと蓄積の差が出なくて。

 大学ではどのように過ごしていましたか。

前田さん  野球を辞めてから何を頑張れば良いのかわからなくて、周りは飲み会とか楽しそうにしてるけど、これまで毎日練習していた僕からすると何が楽しいんだと思っていました。何かを成し遂げるために努力をすることが、人生において自分が生きてて良かったと思えることじゃないのかとか、変なねじ曲がり方をしてしまって。だから授業は一番前に座って聞いてましたし、手も上げたりしていました。頭も一人だけ坊主でしたし変な学生でしたね。

 勉強が野球に代わるものになった?

前田さん  もう朝から晩まで勉強してました。1年生の時からずっと旧司法試験を受けていました。

 すごい!1年生の時に司法試験の問題の意味わかりましたか。

前田さん  わかってなかったです。でも2年生の時に択一試験は受かったんです。これは俺いけるなみたいに調子に乗っちゃって。ただ3年と4年の時も択一は受かるけど論文は受からなくて、もう法科大学院に行くしかないみたいな。

 択一試験受かるだけでもすごいですよ!中途半端な勉強じゃ受からないですもん。

前田さん  めちゃくちゃ勉強しましたよ。大学で授業をノートにまとめて、司法試験だったらどんな感じで出るかなみたいな照らし合わせとかしてました。そしたら自分と同じように一生懸命勉強している子がいて、そいつから声かけられて、法律研究サークルというのがあるから、一緒に法律の沼にはまってみないかみたいに誘われて。

 法律研究サークルは何するんですか。

前田さん  放課後集まって条文について話し合うんです。定義とかああだこうだ話し合って、それで余計楽しくなったんです。ほかの大学にも同じようなサークルがあって、関東学生法学連盟というのがあるんですね。そこで年に2回、法律問題を討論する大会があるんですけど、3年生の時に駒澤代表で僕が出てたしか3位になりました。

 しっかり法律の沼にはまってますね(笑)。当時は弁護士を目指してたんですか。

前田さん  そうですね。1年生の時に法律が面白いと思って、これでご飯食べれたら楽しいなって。あと、親戚が熊本で法律事務所をやっているので、インターンに行って実務学んだりして、企業相手に仕事するのも面白いかなって。

 ロースクールは明治大学法科大学院を授業料全額免除で合格されたんですね。

前田さん  はい。ただ入学する年(2015年)の1月1日に、高岸から突然「僕と一緒に芸人やりませんか」と誘われたんです。

 高岸さんは昔から芸人をやりたいと言ってたんですか?

前田さん  全然ですね。びっくりしましたよ。でもその日のうちにオファーを受けました。

 高岸さんから芸人になる誘い文句みたいなものはありましたか。

前田さん  何もないです。シンプルに芸人やろうよって。僕もいいよって。コンビニ行こう、いいよ、みたいな感覚ですね。僕の中では、弁護士になるのは確定だと思っていて、司法試験の記述式もいい感じに仕上がってきてるから、ロースクールの間に旧司法試験に受かるかもしれないとか甘く考えてて。芸人は遊び感覚だったのかもしれないです。楽しそうだしやってみようくらいの感覚ですね。

 芸人に向けてどうやって動き出したんですか。

前田さん  僕たちは出会ったときにサンドウィッチマンさんがM-1グランプリで優勝した話をしたのがきっかけで仲良くなったんですよ。高岸が芸人になろうと思ったのも、東日本大震災の後にサンドウィッチマンさんが精力的に活動されているのを見て、芸人ていいなと思ったらしくて。それで、大学4年の3月にサンドウィッチマンさんも所属している今の事務所のオーディションを受けて入りました。

 ネタは前田さんが書かれていると聞きました。

前田さん  はい。高岸が誘ってきたから高岸がネタを書くもんだと思ったら、書けないっていうから。

 コンビを組んでから9年目ですよね。お仕事のパートナーになってから関係性は変わりましたか。

前田さん  基本は変わらないですね。休みがあったら一緒にサウナに行ったりします。高岸とは肉体的・精神的にしんどい高校時代を一緒に過ごしていてどんな奴かわかっていますし、今もしんどい時はお互い助けあったりする関係です。

 結局前田さんはロースクールを中退されて芸人の道に進んだわけですが、前田さんが依頼をするならどんな弁護士に依頼をしたいですか。

前田さん  気持ちに寄り添ってくれる方がいいですね。腕がいいというよりは人間性かな。

 芸人として、ティモンディとしての目標は。

前田さん  ゴールデンでコンビの名前が付いた番組を持つことですね。

 高岸さんは昨年プロ野球選手にもなられました(栃木ゴールデンブレーブスに入団)が、前田さんは芸人以外でチャレンジしたいことはありますか。

前田さん  これをやりたいって言うよりは、芸人としての目標を達成するために芸人以外の活動もいろいろやらなきゃいけないなとは思っています。

 多方面での活動も含めて応援しています!今後もぜひ私たちを楽しませてくださいね!

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