関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

落語家
林家木久蔵さん

とき
平成13年10月16日(火)
ところ
東京プリンスホテル「清水」
インタビュアー
窪木登志子会報・広報委員会副委員長

 今月の「わたし」は,笑点などで大活躍の林家木久蔵さんです。
 木久蔵さんは,本業の落語のほか,画家,エッセイスト,俳人,役者,司会者,声優,歌手としてもご活躍,さらに食の文化にも一家言お持ちで,全国ラーメン党を結成してお店を持ち,鯨の食文化を守る会会員でもある,というマルチ・タレントです。

木久蔵さんは,都立中野工業高校食品化学課 程から,森永乳業で勤務した後,漫画家の清水崑さんのもとで漫画修業し,その後落語家の桂三木 助師匠に入門されたとお聞きしました。
ご幼少の頃から,絵心や,落語に対する関心がおありだったのでしょうか。

木久蔵さん 生まれは,日本橋久松町の雑貨問屋のせがれで,明治座が近くにありましたからね。学校に上がる前から,明治座の新国劇や歌舞伎,バラエティーの「芝居絵」の鮮烈な看板がおろされているのを見て,家に帰って紙に墨でまねて書くと,おばあちゃんが「うまいね」って喜んでくれてね。絵と作文は小さい頃から家族にほめられてましたね。
 もともと久松町という町は,近くに人形町の三業地もあったし,私の母も長唄やってましたから,三味線が弾けたし,番頭さんに連れられて映画館に行ったりしてましたからね。歌ったり,絵を書いたりする子どもを喜ぶ家庭でしたね。夜はいつもさんざめいていた町,という感じでした。
 私は,「面白いこと,人を驚かすこと,いたずら」するのが好きでしたね。

愉快な少年時代ですね。でも戦争が始まってから,空襲などで大変だったのではありませんか。

木久蔵さん 昭和12年生まれですからね。アメリカと戦争中でしたが,ぎりぎりまで田舎へ疎開しなかったし,結局家は空襲で焼けてしまって,戦後すぐ両親の離婚もあり,小学校4年生から新聞配達とかビン集めとかず~っとアルバイトをして,母を助ける少年でした。
 都立中野工業高校の食品化学課程に進んだのも,当時は皆そうだったんですが,戦中の飢えからくる食品への関心からだったんでしょうね。でも私は本当は工業高校のデザイン科に進みたかったんですよ。

孝行息子でえらいすでね。そして森永へ入社。 でも一週間たらずであっさり辞めてしまったんですよね。

木久蔵さん いや当時は高校3年生の半ばで会社に実習に入って,月給も出て勤務してますから,半年はいました(笑)。

はい(笑)。でもなぜ辞めたのですか。

木久蔵さん 出版社にいた友人が「サザエさんの画稿は1回3万円だぞ」って教えてくれたんですよ。私の初任給が1ヶ月5千円。半年も実習すれば大体先が見えてしまう。そして,よし漫画家になってやろうと,書生を探していた漫画家清水崑さんの所に入門したわけです。
 書生時代の収入は全部母に送りました。それ以外で小遣いを稼ぐ自信はありましたからね。実際に,清水先生のウチのいらない献本を古本屋に売ったりしてましたね(笑)。

なるほど,やっぱり孝行息子だ(笑)。そして,また人生が変わるんですね。今度は三木助師匠のもとへ。

木久蔵さん はい,4年くらい経った頃,清水先生が,絵がかけて,ものまねもできるんだから,芸人になったらどうだ。落語がいいだろうと薦めて下さり入門するんです。
 ところが,五代目三木助師匠が半年で亡くなってしまいます。で,故三木助未亡人に,「家族関係の複雑でないところを紹介してください」って頼みましたら,八代目正蔵師匠を紹介してくれました。それで,長屋の師匠の所に行ったわけです。
 木久蔵の芸名は,三木助師匠と正蔵師匠から一字ずつもらい,「久しく」の一字を加えたもので正蔵師匠の命名です。

「家族関係の複雑でないところを」とは,さすがにいろいろ社会経験された木久蔵さんのものですね。木久蔵さんの高座での大きな声から元気をもらう人が多いのは,いろいろ経験されているからなんですね。

木久蔵さん よくわかりませんが,それなりに私も修羅場をくぐってきていますから,人を傷つけないようにしようってことは,おもしろい駄洒落ひとつにしても,高座でも気をつけてますね。

やがて笑点のレギュラーになり,真打に昇進されるんですね。

木久蔵さん 笑点は番組自体は平成12年5月で満35年になりましたが,わたしは昭和47年からの参加ですから29年目に入りました。

ご長男(林家きくおさん)も噺家入門なさって,最近は親子会をされたりしていますね。

木久蔵さん ええ,もともと長男はおもしろい子でしてねぇ。4~5歳の頃,母親が抱いて風呂に入れてたら「まずそうなおっぱいだ」なんて面と向かって言って,うちのかみさんが怒ってましたからね(笑)。

なんてことを(笑)。ラーメンブームを起したり,ラーメン党旗揚げのきっかけは何でしょうか。

木久蔵さん 工業高校食品課の同窓会からですね。ラーメン店こしらえて,みんな元気出そうってことで,材料は揃うわけです。みんな食品会社勤務なんですもの。海外はバルセロナにも出店して,最盛期はチェーン店が27店舗あったんですよ。

すごい。ところで,裁判にかかわったことはございますか。

木久蔵さん ええ。風俗の”トルコ”に行ったことがないのに,行ったと雑誌にルポされて書かれたときに,キチンとしたほうがいいと思って弁護士さんたのんで。謝罪広告と慰謝料100万円でしたね。
 それと,最近交通事故に遭って,ひたいにケガしたんですが,示談提案は150万円だけだったんです。この時も弁護士さんにお世話になって,キチンと正しく請求してもらいました。芸人は顔が命ですもの。

なるほど,裁判をなさった訳ですね。弁護士人数が増えることについては,いかが思われますか。

木久蔵さん 増やした方がいいし,それぞれ専門の先生がわかるようにしてもらいたいと思います。私は相談できる弁護士さんがいますが,いない人も多いのではないかと思うので,もう少しアクセスしやすくする工夫も必要だと思います。

本日はお忙しい中,どうも有難うございました。12月中旬には「落語の隠し味」フレーベル館,「昭和下町人情ばなし」NHK出版,の2冊のご本も出版されるとのことです。ますますご活躍され,まわりに笑いと元気を与えて下さい。
アリガトウございました。

林家木久蔵錦絵カレンダー2002年度版より
絵と文 林家木久蔵さん

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