関東弁護士会連合会は、関東甲信越の各県と静岡県にある13の弁護士会によって構成されている連合体です。

「関弁連がゆく」(「わたしと司法」改め)

従前「わたしと司法」と題しインタビュー記事を掲載しておりましたが、このたび司法の枠にとらわれず、様々な分野で活躍される方の人となり、お考え等を伺うために、会報広報委員会が色々な場所へ出向くという新企画「関弁連がゆく」を始めることとなりました。

写真

ピアニスト
花房晴美さん

とき
平成17年7月7日
ところ
弁護士会館地下1階「桂」
インタビュアー
会報広報委員会委員長 東條正人

 今回の「わたし」は花房晴美さんです。パリで生活されていたということもあって,とてもファッショナブルな方。ノースリーブの赤い皮のジャケットがお似合いでした。国際コンクールに上位入賞されるようなすばらしいピアニストであるとともに,無類のグルメでもあります。そしてご主人は弁護士さんということでどんなお話が聞けるでしょうか。

ピアノを始められたきっかけは?

花房さん 私が2歳のときに,絶対音感があるということがわかり,親が歌を習わせ始めたのです。ですから始めはオペレッタがデビューだったのです。それで何か楽器を習わせたいということで3歳ころピアノを始めたのです。ピアノという楽器は音色が大切なのですが,練習の際,母が横で一緒に(楽譜の音を)歌ってくれたせいでしょうか,ピアノに歌心ができてよかったと思っています。

日本でのピアノのレッスンはいかがでしたか。

花房さん 私が師事した井口愛子先生は日本一のピアノ教師と言われ,とても怖い先生と評判の先生だったのです。なにしろ普通は1曲通して弾かせてみて注意すべき点を教えてくれるのですが,先生の場合は最初の4小節から先に進まないのです,うまく弾けないとペンが飛んでくるというお話でしたが,なぜか私の場合はそのようなことはなかったのです。私は自分で言うのもなんですが,素直なので(笑),練習はいやがらずやるのです。しかし,へそがまがっているというか,たとえばクレッシェンド(注,段々大きくなる)とデクレッシェンド(注,段々小さくなる)をあえて逆に弾いてしまうような子だったのですね,それで曲になってしまうのがすごいのですが(笑)。それで先生も,私ばかりは型にはめて弾かせてもだめだと思ってらっしゃったのではないでしょうか(笑)。怖かったという思い出がないのです。

高校卒業後パリへ留学されるわけですが,どのようにして決まったのでしょうか。

花房さん 桐朋高校にいたころに,パリのコンセルヴァトワール(国立音楽院)で将来師事することになるピエール・サンカン先生がマスターコースを開かれて,そこに飛び入り参加したところサンカン先生から誘われたのと,私,おしゃれが好きなものでパリにはあこがれがあったのですね。

語学はどうされたのですか。

花房さん 桐朋高校では第2外国語まで選ばされるのですが,たまたまフランス語を選択していたのでなんとかなったのです。むろんフランスに行ってからも勉強させられましたが。

パリでの生活はいかがでしたか。

花房さん 私,実を言うとピアニストになるか,ミシュラン(注,フランスの著名なグルメガイドの出版社)に就職するか悩んでいたほどなんです。フランスに結局13年間いたのですが,たぶん100軒以上レストランを回ったのではないでしょうか。私はフランス政府給費留学生(注,毎月フランス政府から補助が出る)だったのですが,日本からも仕送りもしてもらっており,仕送りのほうはもっぱらレストラン代に消えてしまいました(笑)。そして,星付きのレストランでランチをすると4時くらいまでは平気でかかりますので,学校は当然さぼることになるのです。不良だったんですね(笑)。
 で,ミシュランの調査員は2ヶ月二人コンビで毎日昼夜と食べて,残りの10ヶ月で原稿を書くというような仕事で不死身の胃袋と肝臓がなければできないこと,そして私,凝り性でして,やるからには,徹底してやらないと気がすまないのです。そうしたところフランス料理を基礎からやるには年を取りすぎていたこともあって,ミシュランのほうはあきらめざるをえなかったのです。逆にピアノのほうはなんだかんだで20年近くやってますから基礎はできていたこともありました。
 だからと言って,まだこの段階でピアノをプロとして生きていこうと決めていたわけではないのです。

国際コンクールでは華々しい成績をおさめられていますが,印象に残るコンクールはありますか。

花房さん ベルギーのエリザベート王妃国際コンクールですね。当時チャイコフスキーコンクール2位と3位というすごいピアニストを含む5人のロシア人がファイナルまで残ったのですが,とにかくご存知のように当時のソ連は共産主義国家で才能あるものには徹底して,その才能に特化して,教育をしていくわけです。ものすごい訓練をさせられ,小さいころから得意な曲がたくさんあり,私のようにコンクールになって初めて練習する曲もあるという感じではないのですね。そして誰も見たこともない新作の曲もコンクールの課題として,弾かされるのですが,1日で弾けてしまうというすごい人たちでした。
 そんな中で感心したのが,彼らのピアニシモ(注,すごく弱い)の音なんです。フォルテシモ(注,すごく強い)の音を出すことよりもピアニシモの音を出すほうが難しいのです。1000人も観衆がいるなかでピアニシモの音を後ろまで響かせることになるわけですから。彼らはそういう音でも美しくしかも十分に響かせることができるのですね。私はそれを聞いて,私も彼らのような音を出したいと感激してしまったのです。そのときからです,ピアノのプロの世界で生きて生きたいと思ったのは。

日本に帰られてからの活動はいかがですか。

花房さん 母などはすぐに日本に帰って来いといつも言っていましたし,私もでしたが父も母もプロになるなんて到底思わなかったようです。早く帰ってきてまともな結婚をしてほしいということで(笑),お見合い写真をたくさん見せられたりしました。まあ,そんななかで日本でもピアノのお仕事をいただくようになり,コンサート活動やCDを出させていただいたりで今日に至っております。

さて,ご主人が弁護士さんということで法律に関してはいろいろと思うところがおありですか。

花房さん はい,私はどちらかという生真面目で一直線と申しますか(笑),夫がかなりアバウトに「盗人にも3分の理」なんて言い出した段階でもう聞く耳を持たなくなってしまいます(笑)。世の中にはいろいろな考え方をする人がいるもんだと思ったのも事実です(笑)。
 あと,昔サバリッシュが指揮をして,私が上野の文化会館でリハーサルをやっているとき,サバリッシュからあれこれといろいろと難しい課題が出され,私が四苦八苦しているときに夫が舞台袖で私に無断で見ていたようで私は激怒したことがあるのです。「それならあなたが証人尋問しているときに黙って傍聴に行きますからね」と言ったら,「ああ,そのほうがもっとやる気になっていいかも」なんて,言われてしまい,弁護士ってこんな人種なのかと唖然としたものでした(爆笑)。
 でも,これから始まる裁判員裁判制度にはとても興味をもっています。

本日はとても楽しい話題をありがとうございました。今後のご活躍を祈念しております。

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